第5節 校舎の増改築

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推進委員会
岡崎城西高等学校では、26年間にわたって育んでくれた校舎の終焉、そして、新たな城西高校の胎動、という出来事があった。
創立1年後に建てられた校舎は、建物が老朽化し、旧い建築構造のため、使用上の不便さがあった。また、このような時に、「生徒減少による私学危機を乗り越えるべく、魅力ある学校づくりを進め、21世紀に向けて、文化の多様性に適応出来る教育の充実を図り、本校のさらなる飛躍、発展を期したい。そのためには、教育環境の再整備が必要急務である」との声が高まった。
こうした情勢のなかで、理事会は、「平成4年に安城学園の創立80周年を迎えることでもあり、これを契機に城西高校の全面的な増改築を行う」という方針を決定したのである。

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そして推進委員会が設置された。推進委員会は、学校長、事務長、校長補佐、学習指導部、環境部の7名で組織された。その後、生徒会部、図書(視聴覚)部、体育科が加わった。推進委員長は安藤祐暁前校長補佐、委員は、富田校長、笹浦弘良、村上脩一の両校長補佐、成田谷政事務長、他に中島達哉、武藤武夫、鋤柄哲朗、小竹曠司、加藤幸夫、田中英明、下込貞司の各教諭である。法人本部の寺部清毅理事長との連絡は、木村剛也法人本部事務局長に窓口になってもらい、協力して頂いた。
推進委員会の主な任務は、増改築の基本設計と実施計画の作成を目標に、調査・研究、設計者との協議を進め、増改築に伴う原案を作ることにあった。推進委員会は、竣工までの3年間にわたって、本校の増改築を推進する核として活動することになる。
昭和63年(1987)4月20日、第1回目の推進委員会が開かれた。この席で、富田校長より、増改築の必要性と、以下にみるような基本構想が説明された。

1、男子普通科であること。
2、建学の精神、実践目標、教育目標(進路・生活・クラブ活動)を踏まえたものであること。
3、夢と誇りのあるものとすること。
4、生徒の学習、教員の指導上、合理的なものとすること。
5、全体として、男性的で、雄大で、力強さを持たせること。
6、シンボル塔を持つものであること。

推進委員会は、この大事業で自らの教育創造の場をつくり出すのだという、全教職員の気概と合意を、最も大切にした。また、工事中の学習環境を可能な限り良いものにするために、仮校舎(プレハブ校舎)を避けるように配慮した。

設計図完成までの1年半の推進委員会の活動は、関西方面の先進校の見学、1か月に2回平均の委員会、設計担当者を交えた説明会と設計図の検討会、学年会、各教科会、分掌各部などでの討議および意見要望の聴取などで費やされた。また、そこから出された問題点をもとに、建設会社(矢作建設)との設計協議、工事進捗中も、計画変更など、微調整のため業者と計39回もの会議を実施した。この間、推進委員会は、もっぱらパイプ役に徹した。

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いよいよ工事が始まった。
平成元年8月17日、まず体育館から、取り壊しが始まった。9月27日、体育館跡地での地鎮祭が行われた。翌平成2年8月10日、北棟、東棟、中央棟の第1期工事が完成した。そして8月22日から、新校舎の使用が開始された。
推進委員長であった安藤祐暁教諭は、『城西通信』(平成2年10月1日発行)に、「銀色のドーム、秋色に輝く」と題して、次のように、新校舎完成の喜びを記している。

「矢作橋から北方を眺めると、銀色に光るドームが見える。堤防を北上していくと、やがて6階建て(一部9階)のライトグレーの男性的な建物が姿を現わし、眼を洗われるような新鮮さを覚える。これが、今年8月に完成した、岡崎城西高校の教育棟である。
岡崎城西高校は、昭和37年創立以来、『質実剛健』の建学の精神のもと、進学、クラブ活動、生活の充実の3つを大目標にして、努力し、今や、三河は勿論、県内私学の中でも、5指に数えられるまでに躍進した。
平成4年に城西高校創立30周年、母体である安城学園創設80周年を迎えるのを機に、さらなる飛躍、発展を期して、校舎の全面的増改築を行うことになった。
第1期工事として、普通教室38、図書室、理科実験室(物理地学・化学生物)、保健室を中心とする教育棟が、平成2年8月に竣工した。続いて、2階建て体育館、管理棟(職員室、事務室、応接室、多目的ホールなど)の含まれる第2期工事に着工、平成3年3月完工の予定である。
すべてが完成の暁には、正門を入ると約3,000平方米の大前庭が広がり、右奥に2階建て大体育館、左手に3階建ての教育棟が長く伸び、その奥(北)には、6階建ての校舎が聳え立つ。その裏には、400米トラックのとれるグラウンドが広がり、野球、サッカー、ハンドボールが同時に出来る第2グラウンドとあわせ、体育授業・クラブ活動の場が整備される。また、大前庭の奥中央には、銀杏の大木が並び、広い中庭とともに、生徒の憩いの場となるであろう。ここに、城西高校の全容が一新され、城西教育推進の環境が、まったく整うことになる。」

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平成2年8月18日からは、第2期工事のため、旧校舎南棟の取り壊しが始まった。

新校舎の完成
平成3年7月2日、体育館を中心とする第2期工事が完了した。これにより、安城学園創立80周年記念事業としての岡崎城西高等学校再開発増改築工事のすべてを終了した。全施設の8割を建て替える大規模なものであった。

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工事を開始してから18か月目である。待望の新校舎完成の喜びはひとしおであった。
7月2日には、新体育館ロビーで、竣工の神事を実施した。寺部清毅理事長をはじめ、関係者約30名が参列した。
7月6日には、校内竣工式を新体育館で実施した。全校生徒と教職員、高橋典禮PTA会長が参列。生徒代表として、林直希君が「お礼のことば」を述べた。
10月12日には、内外からの来賓225名を招待し、新体育館アリーナで、盛大に、竣工記念パーティーを開催した。その後、本校の全教職員よる内輪の祝賀会を開き、完成の歓びを分かち合った。

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竣工披露パーティでの寺部清毅理事長の挨拶は、次のようであった。

「本日はお忙しいところ、私どものためにおいでくださり、ありがとうございます。岡崎城西高等学校は、昭和37年に設立をみております。皆様方もご存知のように、安城学園といいますと、女子教育という響きがあるように、非常に長い間、女子教育に専念しましたが、終戦後の混乱の状態を見て、創立者が、どうしてもこれは男子の学校を創らなくては、と感じたわけです。ちょうど、生徒数の第一次急増期にあたりまして、中学校の卒業生がたくさん出るという環境の中で、岡崎市の方から、ひとつ学校を作って貰えませんかという要請がございまして、その要請を受けて、岡崎城西高等学校を創ったわけであります。
建学の精神は、三河武士の精神をそのままとって、英傑家康をしのぐ人間になろう、育てよう、ということで、三河武士の精神を建学の精神とし、また教育の基本的な方針としてやっているわけです。
しかしながら、科学はますます発達し、国際化・情報化は非常に早いテンポで、厳しく大きなうねりを見せて、進んでいきます。何とか、そういう時代の教育を考えてみていく必要があるのではないか。岡崎城西高等学校は、三河武士の精神を中心にしているが、同時に、新しい波のうねりに対して、対抗出来る、乗り切ることの出来る人間を育てて行かなくてはならないと考え、そのまさに一環として、教育環境の整備をやろうということで、22億円を投じて、教育環境の整備に乗り出したわけであります。
本校においては、地域社会にご奉仕するというのが、建学の理念でございます。今後とも、理事長はもちろん、校長以下教職員、全力を挙げて、地域のために尽くしていこうと、考えているわけであります。どうか、皆様方におかれましては、よろしくご支援のほどをお願い申し上げます。」

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続く、富田太校長の謝辞は、次のようであった。

「会場の皆さん、私は4、5日前から、10月12日の今日、皆さんの前で、『天高く爽涼の秋』という言葉を、ぜひ使いたいと、願っておりました。しかし、昨日の天気予報では、とうていこれは使えないと思っておりました。今朝起きて、天高くとは言えないけれども、大負けして、爽涼の秋とまでは言えるかな、と思いました。そんな天気の回復に心から感謝をしながら、皆さんの前に立っております。
さて本日、来年に控えた、安城学園創立80周年記念事業の一環として、岡崎城西高校再開発増改築工事の完工披露の祝宴を開かせていただきました。公私とも大変お忙しい中を、また、悪天候の中を、このように多数の皆様方のご臨席を得て、盛大かつなごやかに、この祝宴が挙行できますことは、誠に喜びに耐えません。
私は日頃から、皆様方の本校に対する大変なお力添えに、感謝申し上げております。それがあったればこそ、今回の工事も完工したのだと、しみじみと感じ、有難いという気持ちで一杯です。
新校舎は、足かけ3年かかりました。この間に、学校周辺の皆様方には、工事のための騒音、地響きなど、大変をご迷惑をおかけしましたが、皆様の非常なご理解を頂きました。感謝のきわみでございます。
また、施工会社(矢作建設)の若い技師の方々には、よりよい学校をつくるぞ、という執念に燃え、一生懸命になって、建築業務に取り組んで頂きました。お礼のことばもございません。唯々、感謝の一言です。
私どもも、3年間、いろいろ苦労もあっただけに、今、竣工の喜びを迎えると、感慨無量のものがございます。
本校の建学の精神は、三河武士の伝統である質実剛健、己れに克つ、剛気闊達の資質を備えた人間の育成、であります。この建学の精神の体得と実践の場、教室棟として、体育館として、そしてまた管理棟として、完工いたしました。特に、教育棟の一部9階に、天体観測ドームをつくりました。銀色に輝くこのドームは、遠くからも望み見ることができます。
かくして、私どもの学校は、旧来の面目を一新いたしました。時あたかも、本校は創立30周年を迎えようとしています。この節目に、岡崎城西高等学校は、歴史と伝統を踏まえて、新しい転換の時期を迎え、名実ともに『三河に岡崎城西あり』、と言われる学校づくりをしようと、全校、教職員生徒一同が、心を新たに再出発を致しました。
ご来会の皆様方、そしてまた改築工事でいろいろな面でお世話になった多くの皆様方に、高い所からではございますが、厚くお礼を申し上げますと共に、今後とも本校教育の充実と発展のために、一層のお力添えと御指導、ご鞭撻を重ねてお願い申しあげまして校長の謝辞に替えさせて頂きます。ありがとうございました。」

本校を見学に来た中学生たちの間からは、「いい学校だなあ」というささやきが聞こえる。正門を入って、まず目に入る体育館の偉容。ライトグレーの6階建ての校舎。太陽に輝く9階の天体ドーム。在校生には夢と希望を与え、中学生たちには、こんな学校で学びたい、という気持ちを彷彿とさせる建物である。
矢作川西岸の堤防から新校舎を望むと、青空に力強く聳え立つ白亜の校舎が、矢作川の流れと緑の土手に、よく映える。
新校舎は、平成4年3月に、岡崎市の都市景観環境賞を受賞した。

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そして次の時代へ
昭和37年に創設された本校は、創立以来、30年を迎えることになる。
創立当初は、生徒募集、教員採用など、諸般の面で創業の苦しみを痛いほど味わったものであった。しかし、「学園はゲマインシャフト(運命共同体)である」という言葉を常に口にされた寺部清毅安城学園理事長の良き指導を得て、47年以降の岡崎城西高等学校は、教育実践の努力と成果が現われ、次第に地域社会から評価を受けるようになった。
教育実践の成果が上がった最大の要因は、教職員の定着率の上昇である。創立後の10年間は、新規採用教員の7、8割が他に職を求めて転職する事態が続いた。しかし学園の経営が安定し、給与面での改善がなされつつあった昭和47年以降は、この傾向は影をひそめた。本校に生活を託し、安心して教育に専念出来る基盤が整えられたのである。これが教育実践の積み重ねを可能にし、本校の教育の成果につながったと言える。
平成3年度の教職員の平均年齢は、40.4歳、勤続年数の平均は16.3年、10年以上の勤務教員は、約7割を占めている。また、30代から40代の教員が全教員に占める割合も、7割になる。経験豊富な働き盛りの教員が岡崎城西高校の教育を支えているのである。

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なお、62年には、富田校長が勲4等旭日小綬章の叙勲の栄誉に輝いた。

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本校の眼前には、なお厳しい課題が山積している。
平成2年からの公立高等学校の複合選抜制度の実施による私学教育への影響は、すこぶる大きい。さらに、高校生徒の減少への対応、学校5日制の問題、学習指導要領の改訂、カリキュラムの変更などの高校教育の緊急課題がある。
こうした時に、平成3年10月12日には、岡崎城西高等学校の再開発増改築工事の竣工式が行われ、時あたかも創立30周年の節目に当たる本校は、名実ともに「三河に岡崎城西あり」と言われる学校づくりを目指して、全校の職員、生徒が心を新たにして再出発したのである。
本校は、学園人としての自覚を持ち、日頃の研鑚と努力により、ますます意欲的に諸問題に対処し、次の時代を切り拓こうとしている。

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