第2節 新生、そして新たなステージへ (昭和61〈1986〉~63〈1988〉年度)

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新校舎の建設と制服の改訂
昭和62(1987)年度の創立75周年を期して、全面的な校舎改築、斬新な制服改訂、積極的な入試政策、自主活動の育成など、主体的な教育づくりの大きなうねりが起こった。このなかで、本校は大きく変貌を遂げ、21世紀の教育を目指して、新たなステージを迎えた。
61年度に、新校舎建設委員会が設置され、全面的な校舎改築の大事業が開始された。
校舎建築に当たっては、建学の精神の校舎への象徴化、将来的な教育構想を踏まえての機能性、女子教育にふさわしい明るさ、温かさ、優しさ、穏やかさのある教育的文化性、生徒の利用上の安全性や快適性、狭いキャンパスではあるがゆとりを感じさせる居住性、近隣者の生活への保全性など、総合的に分析・研究し、品位ある独創性の高い校舎建築を目標に置いた。
さらに、教員全員の思いを校舎に反映すべく、意見聴取と集約、検討が重ねられ、関東や関西の優れた学校校舎や、そこでの生徒の生活状況を見学したり、建設業者と夜を徹しての議論、検討が繰り返された。
かくして61年1月に、解体工事が始まり、3月30日には、旧本館跡地は整地され、4月に地鎮祭が行われた。本館が巨大な重機類で、日ごとにちぎりとられるように解体されていく姿を感慨深く、いつまでも見つめていたベテラン教師の姿が印象的であった。

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管理棟を取り巻くように作られたプレハブ校舎と既設の南館・西館を普通教室としての生活が始まった。南館の前庭には、進路指導室・教科準備室のプレハブ、裏庭には、自転車置き場、体育館パーキングにワープロ30台を設置した商業科教室と被服工作室、体育館裏の倉庫棟にプレハブの音楽室、管理棟西側と北側に鍵型状に2階建てのプレハブ普通教室と、立錐の余地もなかった。
プレハブ校舎での生活は、歩くと床板が揺れ、隣の授業が板壁を通して聞こえ、ベニヤ板に囲まれた味気ないものであった。特に、6月に入ると、工事の騒音に加え、トタン屋根の熱気で蒸風呂の状況となり、屋根に散水装置を設置して急場をしのいだ。GCを7月10日に早めて設置したり、2学期第1週の授業を半日にするなどの対応策もとられた。

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解体整地された跡に、10月から新館のコンクリート打ち込みが始まり、次第に高さを増していく新館の姿は、生徒や教師に新たな期待と夢を膨らませた。
本館改築とともに、西館校舎の内装工事も行われた。また、63年には開田高原の彩雲ロッジに約9,900平方メートル(約3,000坪)の土地を求め、テニスコート2面の広さを備えたグラウンド、管理棟、手洗所が完成した。
建築工事は順調に進み、62年2月17日に修抜式が、次いで2月20日には、竣工式および竣工披露式典が、多数の来賓を招き、挙行された。

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そして、いよいよ、新装なった本館での授業が、2月23日より開始された。3年生は卒業を目前にわずか数日であったが、真新しい教室での生活を体験することが出来た。
薄墨桜色に被われた円形屋根の6階建て新校舎には、「潜在能力の開発」「真心・努力・奉仕・感謝」「家庭や社会に温かい心と新しい息吹きを与える」を象徴化したモニュメントと、オランダ製カリオンが飾られた。日に3度、鐘の音がキャンパスに響き、校舎中央部の吹き抜けの和風庭園が明るさと自然感を生み、2階のギャラリーの広い空間が豊かな開放感を与えるなど、既成の学校校舎の通念を超えたものとなった。各階のレイアウトは以下のようである。

6階 女性学ゾーンとして、かつて創立者が使用した礼法室の形式を残した礼法室、裏千家家元の間取りを再現した本格的な茶室、高い円形天井の近代的な2つの被服工作室と家庭科準備室。
5階 普通教室(5)と国語科準備室。
4階 普通教室(11)と数学科準備室。
3階 普通教室(10)と視聴覚設備を備えた第1・第2学習センターと英語科準備室。
2階 普通教室(5)と職員室、講師室、印刷室、資料室、第1・第2面談室、東側に、芸術ゾーンとして、音楽ホールと第2音楽室、それに音楽科準備室、西側に情報処理ゾーンとしてワープロ教室とコンピュータ教室、西館との間の中央部にギャラリー。
1階 ホール、校長室、会議室、応接室、事務局、進路指導室、社会科準備室、東側に美術室、調理室、生活指導室。
地下 購買と靴箱が設置された。

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色調やデザインにも工夫が施され、基準以上の照明装置や全館暖房、そして特別教室および職員室や管理部分の部屋は冷房設備が整えられた。近隣への配慮から、芸術ゾーン外窓は防音ガラスが使用され、更に電波障害に対して集中アンテナを設置し、近隣への配線が行われた。また、高層のため、建物の中央部にエレベーターが設置された。本館改築に伴い、西館の内装・照明増設、換気装置の設置が行われ、本館との調和が保たれた。
かくして、総工費約11億円を要した6階建ての新校舎が立派に完成し、62年度より学園全体が新しい装いの中で活動を開始した。63年度には、南館床のピータイルも張り替えられた。
新校舎に続くエポックは、制服改訂である。
61年度に、制服委員会は、生徒アンケートなどをもとに検討を継続し、62年度新入生から制服改訂を決定した。
新制服は、本校の伝統的な制服の基調を継承しながら、それまでの制服の通念を超えた大胆な発想が取り入れられた。花井幸子女史デザインによる、洗練された機能を兼ね備えた制服は、制服改革の最前線を行くものであった。制服の画1的な合理性を一定保持しながらも、生徒が自由に着こなしを楽しむことが出来るもので、制服着用に関する規則を厳守させることに躍起となっていた当時の一般状況下で、こうした発想転換を行った先見性は、他校のみならず、制服業界からも注目の的となった。

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冬と合いは、紺のブレザー、ベスト、リボン、スカートの組み合わせ、ベストは裏がチェックのリバーシブルで、自由に使うことが出来る。また、自由購入で、ベスト裏と同じチェック柄のスカートや2種類の棒ネクタイを自由に使用できるようにした。その結果、生徒の好みで64通りものコーディネーションを楽しむことが出来るものとなった。
夏服は、ゆったりした白のセーラーと紺のスカートの組み合せが採用された。新入生が新制服を誇らしげに着用している姿は、社会的にも注目された。新開やテレビでも頻繁に取り上げられた。
翌63年度には、学校鞄が改訂され、次いで紺、ワインレッド、ダークグリーンのハイソックスの自由使用が始まった。多様な制服着用状況を見るのがごく自然のこととなった。
生徒募集活動の面では、本校教育の特色として、特に高大一貫教育の先進性を強調する一方、入学案内パンフレットの大幅な改訂を図り、広報活動を強化した。
校舎改築、制服改訂の政策とからみ、61年度には、推薦志願者数は、予想をはるかに上回る833名にのぼった。
62年度には、前年度の推薦志願者数の急増結果を省み、これ以上の増加は受け入れ容量を超すという心配が生じたため、各地域、中学校ごとに一定の推薦枠を設定し、募集活動を行った。
63年度には、生徒募集活動がより積極的に展開され、中学生やその父母に本校を直接知ってもらうという主旨で、11月3日に学校見学会を開催した。一日自由見学ということで、約500名以上の来校があり盛況であった。これは、中学校の進学指導体制に追随する立場から、選ばれる私学づくりへの脱却を求めての試みでもあった。この年度は、推薦基準が大幅にアップしたとともに、入学者のアンケート結果によると、「本校に入学してよかった」と回答する者が急増した。
62年度には、安城学園創立75年を迎えた。
記念行事として、10月には、新日本フィルハーモニーオーケストラを招き、豊田市文化会館と豊橋市公会堂において、「安城学園創立75周年記念演奏会」を開催した。
11月21日には、「記念式典」が安城市民会館で、関係各方面から多くの来賓を招き、全学園教職員と生徒代表が一同に会し、盛大に挙行された。これを記念して、『写真で見る75年の歴史』が発刊されるとともに、寺部清毅理事長の自伝『悠々たりや、大河』が刊行された。本校でも校外施設の開田高原彩雲ロッジでの教育活動を集約した『建学の精神の実践』が出版された。

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法人主催による海外研修旅行も企画された。61年度を第1回目として、中国訪問が始まり、62年度に中国、63年度にカナダと、継続された。
この頃、生徒数は急増の一途を辿った。
61年度には、全学年46クラス(1年17、2年15、3年14)であったが、翌62年度には、全学年50クラス(1年18、2年17、3年15)、63年度には全学年49クラス(1年14、2年18、3年17)となった。全校集会は体育館2階に収容しきれず、3階をも使用する状況が続いた。クラス名称も、従来のアルファベット方式から、数字番号に変更された。

生徒の自主活動の活発化
学園祭は、61年度は、校舎改築のために、一日のみの非公開と規模縮小したものの、「求めよう新たな歴史を」をテーマに、クラス合唱・演劇やクラブ発表が意欲的に開催された。
62年度は、新校舎、新制服、創立75周年ということから、これからの飛躍を期して、「築こう未来の懸け橋を」をテーマに開催された。生徒会を中心に学園祭実行委員会が「一人一役」「地域に信頼される学園祭」を合言葉に、組織的に活動した。従来の文化祭と体育祭の連続した日程は切り離した。そのうえ、内容充実が図られ、中心イベントとしては、テレビドラマで仙8先生役を演じた歌手のさとう宗幸氏による「過去・現在・未来」と題したトークショーが企画された。
クラスやクラブの発表内容も、優れた作品が頻出した。レベルの高い調査研究部門や演劇発表に、来客の多くが驚きの感想を述べたほどであった。改装なった校舎正門付近は、いくつものビッグアートで飾られた。
63年度には、「はばたく21世紀を見つめて~つくりあげよう、私達の世界」をテーマに、さらに進んだ取り組みが展開され、はつらつとした高校生文化の祭典が繰り広げられた。
この年のイベントでは、かまやつひろし氏による「今日は明日のために」と題したトークショーが企画された。また、アフリカ難民救済古着キャンペーンも行われた。
この他、新たな取り組みとして、生徒の自主活動を創作ミュージカルを通して高めようという、生徒会顧問を中心とする動きがあった。そして賢さをテーマにした「セブンティーン」上演が決定された。生徒の参加を募り、オーディション、そして脚本、構成、配役、演出、舞台など、200名に及ぶ生徒と教師が一体となり、1年がかりの準備が進められ、63年度卒業生を送る集いで上演された。一般生徒とダンス、ブラスバンド、合唱、演劇などの部員や教員による舞台は、それぞれのひたむきな思いが溢れ、演ずる者、見る者に、感動の嵐を巻き起こした。

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部活動も活況を呈した。
61年度には、ブラスバンド部が、第2回定期演奏会を開催した。この年、陸上の走り高跳びでは、3年服部恵子さんが、インターハイ(山口県)に出場し、13位、次いでジュニアオリンピックに出場し、全国5位と、健闘した。バスケットボール部で、3年松下富紀子さんは県代表の一人として国体に、また、フィギュアスケートで、2年の西亜之香さんが冬季インターハイに出場した。
62年度には、ブラスバンド部が第3回定期演奏会を開催し、また学内でも各種のコンサートを活発に開催した。運動部は、ハンドボール部と陸上部が東海大会に出場するなど、その活躍はめざましく、西三河2年連続総合優勝を勝ち得た。また、冬季インターハイには、西亜之香さんが前年に引き続き、出場した。
63年度には、ブラスバンド部が東海大会にて金賞、中部日本大会にて文部大臣賞、そして顧問の吉見光三先生が指揮賞を受賞、さらに県文化奨励賞を受賞した。
12月25日~1月3日にかけては、日中友好協会の招聘を受け、中国へ初の海外演奏旅行を実施した。冬季インターハイのフィギュアスケートでは、1年中野朋美さんが9位に入り健闘した。

高大一貫教育に新たな局面
系列校入試においては、61年度より、面接試験に加え、作文試験が導入された。この頃、経営学部の新設、系列校受験者数の増加、レベルアップのなかで、本校からの進学者の学力向上が急務の課題となった。
そこで61年度より、系列大学および短大の国際教養科希望者の英語力を向上させるために、1年次に英語補習2時間をセットした1組が編成され、更に始業前に、英語、数学、国語、化学などの実力補習が開始された。その他にも、系列校進学のための夏季補習、英語クリニック、数学道場など、補習体制の拡充が図られた。62年度には、新設の経営学部へ、本校から7名が入学した。
63年度には、1組ゼミ補習、英語クリニック、数学道場、英検集中講座、クール制夏季補習開田サマーゼミ94名参加と、指導が拡充された。
また同年には、普段の学習強化と増大する進学希望者数に対応する必要から、系列校への推薦方法が改善された。推薦資料算出基準が設定され、推薦試験が4回となるとともに、推薦会議は、63年度から第一次推薦と第二次推薦の2段階方式がとられた。また、進路ノート(61年度)を作成し、進路指導の早期化が図られた。
寺部理事長は、61年度の教員合宿研修会(西浦)での講演において、「自学主義をモットーに、自己創造を促す」と課題提起された。
これを受けて、授業問題委員会は『授業を考える』を発刊し、一歩、踏み込んだ授業改善と評価・評定問題への取り組みを開始した。62年度には、「わかる授業から自学中心へ」を目標に、教師の「一人一実践」活動が展開された。
そして、公開授業や学習時間調査を実施しながら、63年度3月の校内研修会では、「一人一実践」の研究成果の発表をもとに、自学主義に立った授業改善のあり方が検討された。
一方、カリキュラムの面では、61年度カリキュラム委員会は、生徒数の急増対策と独自の自学教育を推進するめに、MDを1・2年とともに、1単位にした。選択科目は1科目にして、科目編成を拡充し、テーマ学習型の授業内容にかえ、62年度よりゼミ化することに決定した。
そしてさらに評価・評定の改善検討に入った。63年度には、本校教育と同類型の昭和女子高等学校を見学しながら、高大一貫教育体制や行事計画や週5日制など、次の新たなステップへの準備が始まった。入試改革や募集対策の成果が表われ、学力診断テスト結果は急上昇し、本校入学生のレベルは一挙に向上した。

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生徒指導の面では、生徒指導部は、61年度に生徒手帳の見直し、62年度にミニ担任会の充実、63年度に学年のひまわり講座、ふれあいとけじめの生活指導、生き方をともに考える進路指導、を重点目標に掲げた。
整備委員を廃止し、美化委員が設けられ、3年生はクリーン作戦と称して、前期と後期の2度にわたり、安城市内の清掃奉仕活動を実施した。
また、1年生では作文コンクールによる表現活動が、2年生では学年通信『2年生は今』を手がかりに、新たな進路指導が展開された。

文化行事などの充実
文化行事も、年ごとに充実していった。(敬称略)

61年度
講演 田原米子「生きるってすばらしい」 河野美代子「性について」1・2年/山本茂美「生きがいについて」と、映画「あゝ野麦峠」3年
芸術鑑賞 東京ブラスゾリスデンとその合奏団「ブラスアンサンブル」

62年度
講演 田原米子「生きるってすばらしい」1年/高田公理「学ぶ」3年
映画鑑賞 「海と太陽とこどもたち」2年/「天空の城ラピュタ」1・2年
芸術鑑賞 劇団新人会「ガラスの家族」1・3年/わらび座合奏団2年/「ピアノ・トランペット・マリンバ独奏と打楽器アンサンブル」3年
福祉実践講話

63年度
講演 青山晴美「女は冒険」3年
演劇 劇団新人会「明日に向かって飛べ」
芸術鑑賞 「歌曲と器楽演奏およびオペレッタ」
福祉実践講話
映画鑑賞 「Joey」1・2年

校舎改築と生徒増のため、各行事の変更が行われた。F・Cは、61年度、62年度2泊3日に変更した。G・Cは、61年度(7月10日より)、62年度(7月14日より)、63年度(8月1日より)黒沢ルートからの登山に変更して、1学期末に実施した。この間、1・2年のみで球技大会が行われ、3年の球技大会は2学期末に実施された。
修学旅行は、62年度には、新幹線三河安城駅を利用し、一日短縮され、4泊5日となり、翌63年度には、時期が11月から3月に変更された。体育祭は、62年度には、学校グラウンドに収容しきれず、安城市総合グラウンドで実施された。
62年12月29日、現職教諭黒岩稔雄先生が突然死去されるという悲しい出来事が起こった。勤続18年、41歳の若さであった。
63年5月21日、寺部理事長の叙勲祝賀会が盛大に挙行された。

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