第2節 家政学部の共学化と生活学への歩み

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本学独自の家政学を求めて
愛知学泉大学の家政学部においては、この頃、長期に及ぶ考究の末に、家政学のあり方を巡る大きな転換の時期を迎えようとしていた。
本学の創設以来、家政学部は、いわゆる一般家政学(General Home Economics)として、家政全般を学び、家政に関する教養を高めるための教育をする家政学科1学科の体制として教育を行ってきたが、昭和40年代になって、高度経済成長は様々な側面での家庭生活の歪みをもたらし、これを是正するのに、家政教養を得るだけの家政学ではほとんど有為の用を果たし得ないのではないかという反省が生じた。
すなわち、設置されている多くの専門科目の授業内容が、たとえ専門領域として厳密さを持ち、専門としての完結性を持っていても、それらが、各家政領域での生活目標を実行するためにはどうすべきかの内容を含まない限り、目的学としての生活学とはなり得ない、という反省である。
こうして、本学における家政学の再構築の試みが始まった。
生活文化研究所(47年に創立60周年を記念して創設された)のその後の研究活動や、51年(1976)から52年にかけて開かれた家政学コロキウムでの論議において、家政学はどうあるべきかについての考究がなされたが、さらにその後の営々とした約10年間にわたる論議を経て、ひとつの結論に到達した。
それは、生活上の要求を人と環境との関わりのなかで把握し、要求実現のための仕組みを明らかにするだけでなく、そのより良い実現を目指す主体的、客体的条件を整えるための理論、方法を追求する生活学へと、家政学を改革すべきである、というものであった。そしてさらに、家政学のあり方に関する学内討議が深化され、「われわれが目指すべき家政学の教育・研究に、男女の区別は不要である」という結論を得ることになった。
この検討結果に基づいて、本学は、大きな意思決定を下すことになったのである。
創立75周年に当たる62年、時あたかも男子学生も受け入れる経営学部の開設と機を1にして、女子大学の家政学部としては全国で初めての、男女共学に踏み切った。

全国初の男女共学の家政学部
家政学部が男子学生の受け入れを決定した直後の頃は、男子志願者はそれほど多くないと思われた。
創立以来女子大学として存在してきた本学であり、しかも社会通念からすれば女子のための学部として考えられていたからである。
しかし、男子受け入れの初年度である昭和62年には、全志願者の21%に当たる31名の男子が応募し、合格11名中、10名が入学した。これはわれわれの予想を超える出来事であった。
本学が男女共学化に踏み切った直後の頃は、「女の園に男子が」と、マスコミの興味をそそったのか、新聞社や雑誌社から、しばしば取材を受けた。取材に対し、ほとんどの場合、男子学生は、「高校まで男女共学だったし、自分が勉強したい専門がこの大学にあったから入学した」と言い、女子学生は、「女の園に入って、友達にひやかされることは確実。それを乗り越えた勇気は偉いと思います」と、インタビューに答えることが多かった。龍宮城の取材をと意気込んだ向きには多少、拍子抜けの感があったが、男女が共同参加して作り上げられる21世紀型社会の本格的前触れとして起こっている、男社会と女社会とのクロスオーバー現象の1例として、記事にされることがほとんどであった。

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入学直後、しばらくの間は、基礎科目としてやらねばならない調理実習や被服実習に悪戦苦闘する「男家政人」の姿や、女子学生の多数の眼に圧倒されて、男だけで肩を寄せ合って学生生活を送る姿が見られた。
共学化で男子学生数が増加してきたことに伴い、変わったことといえば、キャンパスの雰囲気であろう。それまでにみられた女の園に特有の甘えが、女子学生から薄らいでいった。これは、大きな変化のひとつとして挙げられる。
62年11月、大学祭が家政学部のある岡崎学舎で実施された。愛知学泉大学として発足以来、女性中心の大学祭に新たに家政学部に男子学生が加わることにより、また男性の多い経営学部も出来たことにより、新風を吹き込んだ。このことは多くの人々に感銘を与えた。

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家政学部への志願者状況は、大きく様変わりした。男子の志願者数は増加の一途を辿り、平成4年には、62年の6.2倍である401名、全志願者の44%を占めるまでになった。
この背景には、54年以降の第二次ベビーブームによる高校卒業生の増加と高等教育志向の高まりとがあいまって、大学、短大の志願者数が増加の一途を辿ったということがあった。その一方で、大学、短大の定員自体はそれほど増加しなかったので、浪人が増加し、平成2年には40万人にまでなった。
本学においては、本学が女子だけであった昭和62年以前の数年間における志願者倍率は、平均1.5倍であったが、共学化に踏み切ったこともあり、共学化直後の62年度には、2.9倍にまで増加した。平成2年には、倍率が10倍にまでなった。このため、倍率緩和の目的で、平成3年、家政学部の定員を50名から80名へと増加させた。しかし平成3・4年の入試では、それぞれ9.6倍、11.4倍と、これを緩和することが出来ない程になった。

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共学化に伴うカリキュラムの改訂
家政学部では、共学化が発足した62年に、カリキュラムの大改訂を行った。改訂に際して意図されたのは、「ゼネラリストの資格を備えたスペシャリスト」の育成、ということであった。
スペシャリストとしての領域が時代とともに急激に変化していく現代、そこにおいて生きていくには、いたずらに狭い環境のなかに自分の能力を固定しようとせず、環境の変化に対応出来る能力を備えることが必須である、との考えに基づくものである。そのためには、物事の全体像を複眼的、多角的に捉える眼を養うことが、スペシャリストになる努力と併せて、必要になる。
こうした観点に立ち、生活全体、そして生活の各側面をトータルにとらえるための科目として、「生活学概論」、「衣・食・住生活論」、「家族論」、「生活経済論」などが設置され、「生活システムを総合的に理解するための科目群」としてカリキュラムに組み込まれた。
この科目群の履修によって、要求実現のための行動を有効にする目的のもとに、知識を集め、それを組織化することが出来、ひいては、物事をトータルに捉え得る眼を養うことが出来ると、考えられたからである。

食品科学コースの増設
家政学部では、さらに、新たなコースが設置された。
平成3年度には80名への定員増が行われたが、この年、家政学部おいては、「食品科学コース」を増設した。これにより、既設の「食物」「被服」「欧米文化」の3コースと合わせて、4コースとなった。これに伴い、栄養士の養成課程である食物コースは「栄養コース」に改名された。
この食品科学コース増設の背景には次のようなことがあった。
男女共学化が行われた後の4年間の志願者状況において、男子の志願者増が総志願者数を著しく押し上げてきたことは確かである。そしてその多くが食品・栄養関係の専門に進みたいと希望した。しかし食物コースに収容出来る人数は、栄養士の関係で限られてしまっていたこともあり、全志願者の6割前後を占めるこのコースへの希望者のうち、わずかしか受け入れられなかった。このことが、コース増設=食物コース分割の理由のひとつとなった。
また、もうひとつの背景があった。家政学部の特性を生かし、食物学や調理科学に関する知識・技能を備え、消費者の視点を持ち、食関連製品の開発と普及に関わる人材を育てる、という食品科学コースの設置が、本学部の将来的見地から見て必要であると考えられたからである。最近は、食が単に生存のためだけにとどまらず、生活様式や価値観の変化を通して、食文化として語られるようになった。これに伴い、食品の果たす機能がソフト面で強調されるようになった。また技術革新は、食品産業をハイテクノロジー産業へと変換させ、新しい食品素材や製品を生みだし、加工食品の出荷額は30兆円に迫り、巨大産業となった。こうした食品産業の著しい発達をみる時、ここに、家政学部出身者の新しいポジションがあると考えられたのである。
この新たな「食品科学コース」のカリキュラムは、物質としての食品の理解を深くするため、機器分析実験をはじめとして、実験・実習に重点を置く科目編成とされた。また、食品産業がどのように活動しているかの知識を得るため、次のような科目を置いた。
工場立地から製品出荷までのシステムを概観する「生産システム論」、推計学的処理を含む「品質管理論」、公害防止の観点から工場での排水・排気処理について述べる「環境プロセス工学」、「包装技術概論」、品質管理、原料管理に関する「コンピュータ利用法」などである。

特別セミナー
家政学部では、共学化以前のことになるが、昭和50年代に入って、新入生の中には、夏休み明けの9月頃になると、「何故、家政学部に入ってしまったのだろう」「進路変更したい」という学生が微増する傾向が現われ始めた。1年次の授業に失望した結果であったことは、家政学部に関係する教員としてはやりきれない気持ちを抱かせた。そしてこの状況の打開策が早急に必要となった。
その打開策として、特別セミナーが設けられた。
57年度より、「生活学の基礎の構築とドキュメントの方法の習熟」を目指し、1年次に複数の教員による特別セミナーが開設されることになった。人・モノ・生活の関係をフィールドワークによって観察し、記録するのである。そのための訓練の場として、3州・足助屋敷のある足助町が選ばれた。食(御幣餅)、交通(塩の道や馬頭観音の歴史)、家屋(家族制度)などの調査が学生によって行われた。そして61年のカリキュラムの改訂では、生活システムを理解するための科目群が設定された。こうした努力の結果、退学者数の減少をもたらしただけでなく、新入生の生活総合科学としての家政学に対する認識を与えるのに役立った。

コンピュータ教育の早期導入
昭和50年代後半になると、世の中では情報化社会への進展が叫ばれ、様々な分野でコンピュータが本格的に導入されはじめた。
こうした時代を先取りすべく、家政学部においては、59年から、コンピュータ言語の習得を目的に、1年次にはコンピュータ基礎操作法演習が、2年次、3年次には専門に即したソフトの利用を目的とするコンピュータ利用が、専門教育に導入された。また、その後、社会人のための3種の神器とも言われるワープロ操作法演習も、「卒業論文をワープロで」の合言葉で始まった。

卒業研究指導のためのセミナー
家政学部の20回生を送り出した平成元年を契機に、卒業研究の指導方法に検討を加える機運が生じた。
卒業研究は、1回生以来、学生が学んだ家政学の集大成として、一人ひとりが個別のテーマを持って個別指導を受けるという方法で、指導が行われてきた。
20年間を振り返ると、テーマは国内にとどまらず、国際的になり、研究の進め方も、実験やフィールドワークによる調査、そして古文書や統計資料により自らの仮説を実証しようとするなど、様々である。生活者の視点を持って研究が進められていること、単に研究のみでなく、教員との全人格的な触れ合いによって、学生が社会人に育つための訓練の場になっていることを考えると、ここに本学教育の伝統がみられる。
しかし、定員増が行われた平成3年以降は、教員一人が指導を担当する学生数が増加し、従来のように一人ひとりに個別テーマを与え、きめ細かく指導することが困難になってきた。
これを解消するため、従来の方式に加え、グループでひとつのテーマを多面的に考究するセミナーが導入されることになったのである。
平成2年度(食品科学コース設置以前)の卒業研究の内容は以下のようであった。

・セミナーのテーマ
被服コース 「昭和のファッション史」「日本人のくらしと色」
食物コース 「碧南市民栄養調査」「四大短大学生の食生活実態調査」「江戸時代における飢饉と食生活」「廃棄を通して地球規模の環境問題を考える」
欧米文化コース 「近代ツーリズムについて」

・卒業研究のテーマ
被服コース 「伝統工芸としての結城紬」「フレアースカートのシルエットに及ぼす素材の影響」「呉服の流通」
食物コース 「食物繊維の生体効果」「糖尿病治療食の献立作業へのパソコンの導入」「間食の問題」「伝統茶懐石料理の材料」「行事食の歴史」「台所用器具から生活を見る」「食物繊維分析法の検証」「本学学生の血液検査結果と栄養状況」「市販魚類の鮮度」「生食野菜と微生物」「市販うなぎに残留する一、二の抗生物質」「生活水」「くらしと農薬」
欧米文化コース 「日系アメリカ人」「ニューヨークのマイノリティグループ」

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