第3節 学校行事

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(1)修学旅行
昭和47(1972)年度より続いてきた南九州旅行は現在の形態では不満が多く、本校の教育目標に合うように部分的、大々的に変更すべきだという意見が大勢を占めた。そして、生徒がもっと主体的に参加できる方法はないものかという議論がなされた。
その結果、今までとは違ったアラカルト方式を採用することで生徒の自主性を高め、グループ活動で生徒が企画、分散研修をすることで、達成感、満足感を味わえるものとした。更に体験学習を通して新しい自己の発見ができるものを考えるという方向性を決めた。
参加は希望制になり、コースは南九州コースが削除され、平成8(1996)年度から現在の沖縄、北九州、中国の各コースに設定された。

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(2)野外活動
昭和57年度5月より、1年生の野外活動は鳳来寺山の東海自然遊歩道、2・3年生は三河高原、闇刈渓谷でのデイキャンプという方式で定着し現在にいたっている。ただ、現在、1年生は4月に1泊2日の新入生オリエンテーション合宿を鷲ヶ岳で行っており、夏山合宿の炊飯練習も兼ねていた2・3年生のデイキャンプは、炊飯がガスコンロに代わったことから、その意味も薄れてきた。
学校5日制になった場合の授業確保という点からは、なくしてもいいのではないかという意見が大勢を占めた。そこで3年生のみ夏山合宿の練習を兼ねて実施し、後はなくす方向で平成12年まで実施した。

(3)夏山合宿
平成13年度、共学化に伴い希望制となって初めての夏山合宿が実施された。一番懸念されたのは、参加生徒の数とそのなかに女子が何名いるかということであった。学校生活のなかで、「私も夏山に行きたい」という声はよく聞かれたが、果たして何名が実際に参加するのか。それよりも希望制としたことで、どちらかと言えば積極的な女子より、男子の参加がどの程度あるのか、などの不安があった。
コースは、Aコース槍ケ岳、Bコース奥穂高岳、Cコース蝶ケ岳の3つで実施した。参加生徒数は懸念に及ばず、90名(男子76名、女子14名)を数えた。すべて小屋泊まりであり、初日と最終日は風呂にも入れる登山である。男子校時代はテントで自炊生活、5泊6日の汗臭い学校行事であったが、それが懐かしくなるほど、小奇麗で楽しい夏山合宿であった。
自分の意志で参加をし、コースを希望した生徒たちであり、頂への征服感をしっかりと持っており、途中で弱音を吐いた者はいなかった。特に女子を心配したが、学校生活と同じく、元気であった。
涸沢から一緒になった4国の夫婦から「生徒さんたちの元気をいただいて、ようやく穂高まで来れました」と感謝された。生徒たちは、夜は満天の星を見、朝は東雲曙から日の出を堪能した。
折悪しく台風の影響からか、穂高岳頂上から槍ケ岳は望めなかったが、眼下に小梨平や河童橋付近が見え、乗鞍から笠ケ岳方面の遠望はきき、生徒たちの顔は生き生きとしていた。「行きはよいよい、帰りは恐い」の大岩壁を下りなければならないとはこのときは知らなかった。
「登った山は下りなければならない。たとえ別の道を通るにしても、山頂にいつまでもとどまることは出来ない。その山を下りながら、私はあることを考える。それは山での悦びが、今自分のうちに結晶し始めているということである。どんな風に結晶するか、それに関して私は操作をすることは出来ない」(串田孫1「山のパンセ」)とあるが、下山した生徒の心の中に、何が結晶し始めたのかはわからない。しかし、夏山合宿は本校の伝統行事として脈々と受け継がれなければいけない。

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(4)強歩大会
強歩大会は、平成7年から学校行事となり、当初のコースに真福寺から村積山までの5キロメートルを増やし32キロメートルで9年度まで実施された。10年度より、男女共学に伴い、名称を「共歩大会」に変更し、1年生のみ本宮山東側からの急斜面の登山となった。

(5)平成13年度運営組織
(上記図版「(5)平成13年度運営組織」参照)

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