学校行事「体育祭」「文化祭」は、生徒の「自主的な活動を支え、育てる」ことで「元気な学校を作る」という観点から、平成5年度(1993)に従来の生徒会部から自主活動部に校務分掌が変更された。このことによって平成11年度(1999)の男子校から共学化への改革とあいまって、本校の部活動は勿論のこと、学校行事がさらに活性化した。生徒一人ひとりが各行事に主体的に関わる現在の学校へと発展した。その原点は新入生歓迎会の「若鮎祭」の創設(平成11年)であった。
その内容は各運動部・文化部のクラブ紹介および勧誘のための1分間パフォーマンス・模擬店・生徒会執行部企画・野外ステージ企画等で生徒の自主的な運営のもと大盛況であった。この行事を企画運営した生徒会執行部と実行委員会に新入生の女子生徒が加わり、5月下旬に行われる体育祭、9月下旬の文化祭、そして2月に行われる予餞会がこれまでにない盛り上がりを見せるようになった。
体育祭・文化祭を盛り上げるにはそのための“仕掛け”が必要となる。体育祭ではほぼ全員が参加する競技だけでなく、各クラスにクラス旗(2メートル×3メートル)をつくり、全クラス分を1枚の大応援旗にする。それを北棟に掲げる(写真)。さらにテーマにそったクラス毎の仮装行列と色別(6色)の応援合戦(ダンスパフォーマンス)を実施している。
文化祭での仕掛けとして「ネットアート」企画(写真)がある。1メートル×1.5メートルの網の目に2.5センチメートル×5センチメートルの小紙片の色紙を1枚1枚ホチキスで留め、それを体育祭の旗と同じようにつなぎ合わせて一つの絵にする。その他文化部の展示および発表、クラスのステージ発表や展示・テーマ企画、50店舗を越える模擬店と盛りだくさんである。地道にかつ楽しそうに準備する生徒たちの姿が多々見られる。平成17年(2005)の「死海の水」での浮遊体験は中日新聞朝刊の第1面に大きく取り上げられた。そのときの一般入場者数は6,000名に達した。現在も2日目は一般公開を続けている。その入場者数は常に3,000名を優に超えている。
平成15年(2003)からの体育祭と文化祭のテーマを下に一覧にしておく。
(上記図版「平成15年からの体育祭と文化祭のテーマ」参照)
花の撓
花の撓は、花の塔とも書かれ、その年の豊凶を占うための行事として三河・尾張の各地で行われてきた。そこでは植木が売られ、人びとでにぎわった。地元の矢作地区では、誓願寺と矢作商店街が中心となって行ってきた。しかし、ホームセンター等での苗木の販売で、人気がなくなり、ややさびれた祭りとなっていた。そこで平成13年(2001)年5月から矢作商店街の要請で、愛知学泉大・本校・矢作中・矢作北中・矢作東小との共催で行われることになった。その企画運営に生徒会執行部と実行委員会が中心的な役割を果たしている。とくに矢作町内を通る旧東海道の路上で行われる文化部の体験コーナー・作品展示・縁日・小ステージ企画・綿菓子プレゼントは大勢の人でにぎわっている。しかし何といっても1号線をバックに道の真ん中につくったメインステージ企画は午後の歩行者天国中、観客が絶えることなく超満員の状態がつづく。そのステージには本校の吹奏楽・和太鼓・ダンス・チアリーディング・合唱・ジャグリング部や中学校のブラスや生徒会・地元の方々が出演し、大いに盛り上がる。正にこの活動は本校の地域に根ざした学校づくりという目標の一つに合致し、伝統行事の一つになっている。
修学旅行
平成8年度(1996)から、沖縄・北九州・中国北京の3コースで実施している。クラス単位でなく、1年次での希望選択制で現在まで実施をしている。
平成14年度(2004)は、前年が同時多発テロの発生によって国内に変更したのを、従来の中国、沖縄、北九州コースに戻した。しかし、平成15年度は中国広東省で発生した新興感染症、サーズの影響で中国コースをサイパンに変更した。翌平成16年度(2004)は中国北京を入れての3コースに戻した。平成17年度からは中国と同じく日本とは1衣帯水の隣国韓国コースをあらたに入れ、海外を中国・韓国、国内を沖縄と北九州コースの4コースにした。
海外コースは異文化体験と日中の歴史を学ぶことをテーマとした。それに対して国内コースは海の体験と平和学習とし、沖縄ではひめゆり部隊の生存者の方から、長崎では原爆体験者の方から、それぞれ講話を受け、生徒たちは深い感銘を受けた。この国内2コース、海外2コースの形式は、中国コースの希望者が減少傾向にあったが、平成21年度(2009)までつづいた。
平成22年度(2010)は、9月に中国のトロール漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという尖閣諸島問題により中国コースを中止し、中国コースの希望者を韓国コースに変更して実施した。ところが、韓国への修学旅行初日の11月23日午後、北朝鮮による延坪島砲撃事件が発生した。その砲撃は時間的には、本校の生徒の乗った飛行機が仁川空港に着陸後の1時間程後であり、時間的に少し早ければ着陸できない状況であった。ソウル市内は平常通りに思えたが、国内で放映されたニュースを見た保護者から学校への問い合わせが多く、学校長も沖縄コースから急遽帰校して対応を行った。
こうした状況から平成23年度(2011)は、学校として対応できない危険性のある国は実施せず、日本と歴史的に関係が深く親日的で安全性の高い台湾に変更した。国内は、北海道コースを新設し、沖縄・北九州の3コースにして実施した。しかし、台湾・北海道コースはやや観光的になり、今後コース内での見学場所及び体験学習などの検討が必要である。
創立50周年を迎えた本校は、今後、修学旅行そのものの意義も含め、建学の理念と建学の精神および教育目標の実践と体得の場として位置づけることができるように再検討をする必要がある。
国際交流について
平成4年(1992)年、O.C.(Oral Communication)の授業において、本校で初めてAET(Assistant English Teacher)が採用され、その後AETが2人体制になった。外国人教師に接する機会が増え、生徒たちの国際意識が高まったのは言うまでもない。その語学力を試すべく、また校内においても多くの要望があったため、平成6年(1994)に語学研修旅行がはじまった。
第1回の語学研修は平成6年内藤公久教諭を団長、河西宏幸教諭を副団長として29人の生徒と共に夏期長期休暇中に行われた。オーストラリアのニューサウスウェールズ州ウーロンゴング市にあるエドモンドライス・カレッジを訪問した。約2週間のプログラムで、午前中は同校にて授業体験、午後は牧場訪問やスポーツ等の野外体験活動をしており、その形は今も変わっていない。それから19年間、現在まで継続して実施されており、今年度も25名参加で実施している。
また、逆にエドモンドライス・カレッジの生徒が日本を訪れた際には本校の生徒がホストとなり、ホームステイ先として生徒を各家庭で受け入れている。
エドモンドライス・カレッジは中高一貫の私立男子校であるが、本校の語学研修参加者は女子が多い。そのことからもあらたな訪問先、あらたな姉妹校の検討が必要ではないかと考えられる。また、いまや海外語学研修は、西三河の私立高校において実施していない高校はほとんどなく、実施して当たり前という状況の中にある。そのような状況の中で学校行事として、約2週間の語学研修をどう実施していくかが今後の課題である。
本校の海外語学研修は夏と冬の長期休暇中に行われており、冬の休暇中の研修先はカナダである。夏期休暇中では夏山合宿や夏期演習と重なり、研修を希望しても参加できないという生徒のために計画された。第1回目は平成20年(2008)に行われた。参加人数は夏と比べると少ないが、クリスマスの時期をカナダで過ごすということもあり、根強く人気がある。
本校の国際交流、異文化との関わりとしては、外国人留学生の受け入れも挙げられる。平成6年本校に初めての留学生が来て以降、毎年継続して留学生を受け入れている。ここ10年間で15名ほどの留学生が本校に来ており、アジアはフィリピン・モンゴル・マレーシアなど、ヨーロッパはベルギー・スイスから、またオーストラリアやメキシコ・ブラジルなど国際色豊かである。本校生と共に学んでおり、教室内もよい国際交流の場になっている。
その他本校では、在日外国人を講師に招いての国際交流授業、外部留学団体との短期交流、クラブ単位での異文化交流など海外とのつながりを持たせる活動を行っている。多くの生徒に海外へ目を向けさせ、国際社会に活躍の場を希望する生徒を多く輩出していきたいと考えている。
女子運動部の活躍
男子校の頃はスポーツが盛んであり、全国レベルを誇る17の運動部が活発に活動していた。平成11年度(1999)からの男女共学への移行にあたり、女子の運動部の活動の場として陸上競技部・卓球部・剣道部・パワーリフティング部・テニス部・チアリーディング部(当時は応援部)の6クラブで女子の活動がはじまった。共学2年目を迎える中、運動部を希望する女子生徒が徐々に増え、当時の村上学校長の意向により、女子も受け入れるゴルフ部があたらしく誕生し、運動部は18になった。女子の運動部は平成12年度にバレーボール部・ハンドボール部・ゴルフ部、平成14年度にバスケットボール部、平成15年度にソフトテニス部、平成16年度にバドミントン部と増えつづけ、現在は12の運動部で活発に活動している。
また、平成24年度(2012)までに全国大会へ出場した女子の運動部は、陸上競技部・バドミントン部・ソフトテニス部・パワーリフティング部・チアリーディング部・ゴルフ部の6クラブとなった。さらに全国大会の上位で活躍する運動部も増えてきた。平成14年度ジュニア・オリンピック陸上競技大会(横浜)における神谷有佳里の女子3段跳第2位、平成14年度全国高等学校パワーリフティング選手権大会(埼玉)における女子団体優勝、平成19年度(2007)全国高等学校総合体育大会バドミントン競技(佐賀)における打田しづかの女子シングルス第2位、打田しづか・藤田理恵子組の女子ダブルス第2位、平成20年度全国高等学校総合体育大会陸上競技(埼玉)における河澄真子の女子走高跳優勝、平成21年度全日本ジュニアバドミントン選手権大会(鳥取)における峰歩美の女子シングルス優勝、峰歩美・與猶くるみ組の女子ダブルス優勝、などである。
創立50周年を飾る運動部の輝かしい実績
平成24年度(2012)には、本校の運動部は創立以来の輝かしい実績を上げることが出来た。全国高等学校総合体育大会には、陸上競技部は過去最高の15名(男子:棒高跳1名・走高跳2名・5000m1名・8種競技1名、女子:走幅跳1名・100mハードル1名・走高跳1名・800m1名・4×100リレー6名)が出場した。サッカー部は昭和58年(1983)の愛知総体以来29年ぶり6回目の出場した。バドミントン部は団体戦男女アベック(男子:5年連続21回目、女子:2年連続5回目)出場した。また個人はシングルス男子1名、女子2名が出場した。ソフトテニス部は、団体戦男女アベック(男子:2年ぶり11回目、女子:2年連続2回目)出場、個人戦は男子ダブルス4組、女子ダブルス1組の出場を果たした。またパワーリフティング部は、全日本高等学校選手権大会において15年ぶり2回目の団体優勝を果たし、個人では53㎏級で2位・4位、59㎏級で優勝・3位・6位、66㎏級で2位、74㎏級で2位・5位、83㎏級で優勝・5位、93㎏級で2位という素晴らしい成績であった。ラグビー部の石井龍1は、全国高等学校合同チームラグビーフットボール大会とU18合同チーム東西対抗戦へ出場し、ゴルフ部の新田彩乃は、全国高等学校ゴルフ選手権大会へ2年連続出場を果たした。
さらに特筆すべきは、卒業生の中村明彦(400mハードル:平成20年度卒)・市川華菜(4×100mリレー:平成20年度卒)・山本聖途(棒高跳:平成21年度卒)の3名が、ロンドン・オリンピックに日本代表として出場したことである。オリンピック出場は、昭和63年(1988)ソウル・オリンピックにハンドボールの全日本GKとして出場した橋本行弘(ホンダ鈴鹿:昭和59年度卒)以来のことであり、3名同時というのはまさに快挙である。
文化部の活躍
文化部の活動も多岐にわたり多くの成果・業績を残している。ここ10年で広がりを見せた「地域密着活動」に焦点を絞り述べていきたい。
校外の団体との交流は、もともとインターアクト部が長年、福祉団体との交流を行ってきていたことにはじまる。それが、現在の広がりを見せた背景には、オープンセミナーや花の撓の実施に拠る経験と自信が大きく影響していると思われる。
具体的なものとしては和太鼓部・吹奏楽部・ジャグリング部の活動である。和太鼓部は、年間40回程度の校外演奏活動を実施している。その活動は広範囲にわたり、地元のお祭り、老人施設や障害者施設の慰問、幼稚園・小学校の催しなどである。吹奏楽部は本来、コンクールに向けての活動を中心としながらも、その合間をぬって、年に数度、地元の老人施設などの慰問演奏を実施している。近年では、ジャグリング部も同様の慰問活動や小中学校のイベントなどに招かれ、準備の身軽さや体験型などの理由により広く地域から多くの要望が寄せられている。
今後の課題としては、活動の認知度をいかにあげるかであろう。校内においても実際にどのような活動を実施しているかを十分に理解している者は多くはない。地域の人びとはなおさらであり、実際に活動を依頼しようにも「学校の部活」という目に見えないハードルがあり、手をこまねいている場合も少なくないようだ。改善の1策として、ホームページ等を積極的に活用し、どのような活動を行っているか、その様子や地域の声なども含めた報告を行うことが有効ではないかと考えられる。広く地域に宣伝することで、各部活の活動を知らせると同時に、より身近な存在として学校・生徒・教師を捉えてもらうことが、城西の教育の実情を真に理解してもらうことにつながるであろう。