安城学園60年の歴史の大部分は、本学園創立者寺部だい先生と、そしてそのよき理解者よき協力者であった御夫君の三蔵先生の、人生の歴史であるともいえよう。特に学園の創設に関する歴史は、まさに両先生の歴史そのものである。
昭和37年(1962)は学園創立50周年にあたる年であった。この年に寺部だい先生の自伝『おもいでぐさ』が発刊された。それから4年後の昭和41年の5月18日、だい先生は83年間の生涯を閉じられたので、この先生の自伝『おもいでぐさ』は、本学園の歴史特に創設の歴史を語る唯一の資料となった。この『おもいでぐさ』に、本学園の創立にあたるところがつぎのように書かれている。
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明治44年、私は30才でありました。自ら満期をとって、海軍をやめた夫の就職を色々と考えてみたのですが、何を申すにも、田舎のことであって、日露戦争後の海軍士官を使って呉れる所はございません。
夫の受ける僅かの年金と恩給だけでは、母と長男清を抱えた生活は、倒底覚束ないことは、明らかであります。思案の末、上京して職を探して見よう。いよいよの場合には、私が下宿屋をして4人の生活を支えよう。と決心して、母に相談いたしますと、母は悲痛な面持で、「私が亡くなった後は、何とでも勝手にするがいい。然し私の生きている限りは郷里に居て貰いたい。桜井村では不便だが、安城へ出れば、色々と都合のよいことが多いであろう。いっそのこと、この家を持って行ってはどうだろう。」と言われるので、年老いた母の切なる願いに逆らうことは出来なかったのです。
母は、早速、安城町の朝日町に、300坪程の農地を求め、桜井にあった25坪程の2階家を移築して呉れました。これが抑々、安城に因縁を結んだ経緯でございます。
この時近所の娘さん達に頼まれて、お裁縫の指導を致すことになりました。当時、安城は純然たる農業地でありまして、中流以上の家庭で女子教育を受けるとなると、みんな名古屋とか、岡崎へ出るのが普通でありまして、私の家塾へ通うのは、裁縫の一部を補うという程度の人が多かったのです。私は将来のためにも、この安城に、女子に必要な家事、裁縫を主体として、一般教養学科の一部を加えた女学校が欲しいと、常々考えて居りました。
その時、ある日のこと、愛知県視学の林先生が訪問されました。先生は同郷の先輩でもあるし、私の小学校時代の恩師で、常に御指導を頂いていた方なのです。その林先生から「どうだ二人で共立の裁縫女学校を作ってみる気はないか。実は自分の父が、県立2中(現在の県立岡崎高校)に在職しているが、年令上、近く退職することになっているから、父に学科の方を担任させて、貴女が家事と裁縫を受持てば、当分職員の心配はいらないではないか。」と申し出されたので、全く“渡りに舟”の喩えで、喜んで賛意を表わしました。
そこで早速、町内各方面の意向を打診してみて、開校の予定を立てることに致しました。
所が結果は、今の安城町で50銭の月謝を貰って50名の女学生を集めるのは、困難で見込みが立たない。という説が圧倒的に多かったのです。そんな事情で林先生も「現在職にある父を退職までさせて急ぐことはない。」ということになりました。
然し、固い決意で起ち上った私は、独力でもと申しまして、直ぐ手続きに着手しました。
書類その他、県に関係することは、一切林先生が引受けてお世話をして下さいました。
明治45年2月11日、次男清毅のお産で床に就いていた時、設立の認許書を受取ることが出来ました。
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創設者寺部だい先生は、何事にも自分がこうしてこうやって大成功をしたというようなことは、決しておっしゃらぬ方であった。やはり自伝『おもいでぐさ』の終りにつぎのような一節がある。――心静かに、八十年を回想し、反省致しまして、万感が去来いたしますが、泌々と私の胸に迫るものは、……人の成長は人の力によるものである。……ということであります。人の情けは、即ち、神のお力であります。神は人の力を通して偉大なお力を与え給う。之に対して行住坐臥、只々感謝あるのみであります。この感謝報恩の気持が身内に、異常な力を湧き立たせてくれたのではないでしょうか。思えば、子供の頃は、村人の情けに励まされた親子二人は、細々ながら生き抜いて参りました。貧しい中から、学に志したのは取分け亡き母の力によったものであります。女子教育五十年の道には又、大臣、博士から教職員学生生徒にいたるまで、それこそ各方面の数限りない人々の力が、私を歩ませて下さったのであります。――学園創設のありさまは、創設者の自伝による限り、実に淡々と書かれているが、この表現は多分に寺部だい先生の人格によるところで、いやしくも一つの学校が創立されるまでの経緯には、特に創設者の生活や心の動きの伸展の中に、創設の歴史の上での大切なものが残されているはずである。そしてその大切なものは、学園の建学の心として、その後の学園の発展の支えとなっているはずである。こんな意味でだい先生の『おもいでぐさ』の1こま1こまを、今一度味わい直してみたいのである。