第4節 生徒会部から自主活動部へ

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平成5(1993)年度の校務分掌再編によって、生徒会部の名称が自主活動部に変わった。これは学校月2回の5日制へ、そして完全5日制へ、更に、その当時にはおぼろげでまだ実体はなかったが、来るべき男女共学に向けての戦略的意味を持つ名称変更であったと言える。つまり、生徒の「自主的な活動を支え、育てる」ことで「元気な学校を作る」ということを、学校内部に対してはもちろん、外に向けても宣言したということである。
かといって、当時の生徒会活動が低迷していたということではない。実行委員会形式の文化祭や他校生との交流・共同にかかわる生徒が“自己増殖”しながら、活動の質や幅を大きく変えつつあった。むしろそこに学校の未来像を描き、「自主活動の育成」を学校改革のひとつの柱としたとも言える。

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(1)共学以前の自主活動
メインの行事である文化祭は9月末または10月初旬の土・日曜日に開催し、日曜には一般公開を実施してきた。文化部の展示・発表が大きな柱であり、年間活動の総まとめという位置づけは今も変わらない。ただ、展示内容をより多くの人に見てもらいたいという思いに対して、見学者の数が少ないという悩みはずっと持ち続けていた。そこで、展示配置を試行錯誤したり、参加体験型のスタイルを加味し始めていた。
実行委員会の企画が文化祭のもうひとつの柱となり始めたのは、平成8年頃からである。福祉や環境といった今日的な問題を扱った「テーマ企画」、ステージ発表系のクラブやバラエティー、生徒バンドの発表などの「野外ステージ企画」、正門アーチや、張りぼてなどで祭りの雰囲気を盛り上げる「アート企画」、チビッコも楽しめる「アトラクション企画」など、現在の文化祭の原形として定着し始めていた。
同時に、生徒のエネルギーは外にも向けられ、近隣の幼稚園や小学校を中心に1万枚以上のチラシを配布するなど、「自分たちの文化祭を多くの人に見に来てもらいたい」という思いをストレートな行動に移すようになった。外来者として女子高校生が多いのは必然であったが、家族連れもかなり目立つようになった。
もうひとつのメイン行事である体育祭は、5月末または6月初めに、全校を学年のバランスをとって5色(赤、青、白、緑、黄)に分け、クラス対抗と色別対抗で順位を競うという「より速く、より高く、……」を意識した、どちらかと言えば競技会色の強いものであった。しかし、色別パネルや、のぼり・旗などを使っての応援(応援合戦は10年ほど前からなし)は、20年以上前からの伝統として受け継がれていたし、共学の今も続いている。
一方、執行部・生徒議会・常任委員会、そしてクラスという、縦につながった原則的な活動については、その内容にやや精彩を欠いていた。日常的な生徒会活動に、いかに多くの生徒を取り込むかというのが執行部の課題であった。ただ、行事ごとに組織する生徒実行委員会が、単に行事を企画運営するがけでなく、日常的な生徒会活動に対しても機能し始めていた。また、高校生フェスティバルやオータムフェスティバルなどで、他校生や父母との交流・共同を通して触発を受けた生徒が活動の質を変えつつあった。

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(2)共学の始まりと「若鮎祭」
共学化に伴い、自主活動は「自然に活発になるのではないか」というムードが学校全体にあった。それは、男子よりも行動的で表現力のある女子が活動をリードするのではないかという淡い期待のようなものであった。そして、共学完成年度には、一定の活動スタイルを確立したいという思いをもって共学元年の活動はスタートした。

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平成11年4月、新たな行事「若鮎祭」が始まった。これは新入生、特に男子校に初めて入る女子を温かく迎えようという思いと、入学時から自主活動を強く意識してほしいという願いから実現した。そして、2年目以降も一般的な新入生歓迎会として、第3土曜日の午前中の開催が定着した。
共学で生徒会行事は華やかになった。ただ見栄えが華やかになっただけではない。女子はもちろん、より多くの生徒が活躍する場面が増えたということである。活躍の場を演出し、一人でも多くの生徒が主体的にかかわれるよう、行事の企画運営を生徒自身が担うようになっていった。

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(3)生徒が自分たちの手で作る生徒会行事
体育祭は、女子の加入で種目変更がなされた。特に平成12年度からは、コース編成上、クラスごとの女子数が極端に違うため、男女のどちらが出場しても良い種目を用意するなど、競技点によるクラス対抗は比較的大らかなものとなった。競技以外では、「仮装」と「応援旗」へのクラスでの取り組みが始まった。前年までの御輿行列は、仮装御輿行列として色別対抗で行われるようになり、新しく仮装リレーがクラス対抗の種目になった。また、クラス応援旗を全クラスで作成し、それをひとつにまとめるという取り組みも共学化に合わせて行われるようになった。
文化祭は、年間を通して最大の生徒会行事である。5月の半ばからスタートし、文化部の準備は夏休みを使って行われる。そして、9月の新学期早々からクラス企画も本格的な準備を始めるというのが例年のパターンになりつつある。
文化祭の新企画として「前夜祭」が始まったのは12年度からである。その中身は、籠田公園から康生を1周するパレードと、公園ステージを使った文化部発表であった。初年度は、午前中の大雨で実施が危ぶまれたが、スタートの午後2時には小雨になり、文化部員と実行委員を中心に約300名が車道1車線を使って、文化祭をアピールするパレードを行った。
「ネパールに学校をつくる」プロジェクトが始まったのも12年度からである。国際協力部の提案に生徒会が賛同し、全校を挙げての企画という位置づけとなった。まずは文化祭におけるネパールの子どもたちの絵画展を契機として、13年春の生徒による現地調査を経て本格化し、学校づくりは現実的なものになっていった。学校運営の資金を集める活動は始まったばかりであり、さまざまな機会をとらえて実施されている。外とのつながりは国を超えて広がり始めた。

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(4)組織の改革と日常的な生徒会活動の高まり
生徒議会は、各クラス2名の代議員たちによって構成され、4つの常任委員会(文化、体育、生活、環境)とひとつの委員会(放送)が設置されていた。これらに加えて、平成13年3月に、ネパールに学校を作る活動を推進する「LENP特別委員会」が発足し、同年5月には「地域交流(Local Communication)委員会」が創設された。ただ、放送委員会は、その活動内容を執行部内に移すことで廃止された。LENPは、任意の生徒による組織であったが、他の委員会は代議員によって構成された。

(5)町とつながる生徒会活動
平成13年5月、矢作の伝統的な祭り「花のとう」で、町と学校の共催が実現した。これは、創立40周年記念事業のひとつにしたいという学校長の発案で始まり、その呼びかけに応じた矢作商店会、矢作中学校、矢作北中学校、矢作東小学校との共催となったものである。ここ数年「露天商と婦人会バザー」のみで、ややさみしかった「祭り」は、矢作旧道全体を使った本校生の活躍で大きく変わった。それは、小中学校も巻き込んでの「共催」ということを、地域の人たちに強く印象づけるものとなった。つねに「去年より良いものを!」ということを強く意識し、他校の実践を学びながら「J-Mode(平成13度文化祭テーマ)」の確立に向け、着実な成長を続けている。

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