第8節 寄宿舎の生活

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県外からの入学者が極めて多く、県内でも旧碧海郡を除いては、国鉄沿線と開通したばかりの碧海電鉄の西尾までだけが通学可能範囲であったから、寄宿舎へ入らなければならない生徒が多かった。だから、新校舎の建設とならんで、寄宿舎の新築が火急の課題であった。その結果、大正15年9月までには木の香も高い寄宿舎が小堤の校地内に竣工したのである。

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大正15年4月に入学した高橋ちもとさん、小林はつ(旧姓牧原)さん、永田浪子(旧姓山田)さんらは、入学後約半年間は稲荷の旧校舎を寄宿舎として、小堤の新校舎へ通学したと語っている。
完成した寄宿舎での生活の一端を、昭和3年に師範科へ入学した平出ゑいさんは「日曜目の日に」と題して、「友は皆熱心に勉強をしてゐる。栽縫をなしている人もあれば、図画を描いてゐる人もある。国語を繙いてゐる人もある。」と記している。日曜日でも、自習時間を設定して勉強を義務づけていたのである。「漸く勉強をしやうと思った時に、早や自習時間終了の笛が寮舎に響き渡った」(『校友会誌』)。親元を離れて、故郷恋しさに悩みながら、真剣に学習にとり組もうとしているようすが、ここにはよく表わされている。
寄宿生の日課は、夏冬を問わず朝5時の起床にはじまり、炊事当番を除く全員は、体操かけ足をしてから、掃除にとりかかった。定期的に大掃除が行なわれ、その時はかけ足は省略された。寄宿生は、修養団の精神に基づいて「流汗鍛錬ヨイショ」とかけ声をかけ合いながら雑布がけに汗を流し、床の光り具合を競った。そのため、廊下はあたかもスケート場とみまちがうばかりであり、ゴム裏の上履は足跡が残るという理由で禁止されていた(『安城学園45年史』)また、寒中にも、敢えて井戸水を使わずに、わざわざ氷のはりつめた手の切れる程冷たい水を汲んで来て、競争で便所掃除をした。岡田カツ(旧姓榊原、昭和3年師範科卒)さんは、誰から命ぜられた訳でもなく、数人のグループで便所掃除をしているところを、三蔵先生に見つけられ、「いつも便所がきれいなので誰が掃除をしているのかと思って見に来たら、君達か、感心感心」と誉められたと話している。悪いことに対しては徹底して厳しく、良いことは見つけ出してでも誉めてやる、いわゆる信賞必罰が三蔵先生の指導方針であった。こうして、寄宿生たちは自らすすんで、他人の最もいやがる最もつらい仕事を奪い合ってするように習慣づけられたのである。
食事は玄米のご飯に、くろい八丁味噌の味噌汁(福井県出身の布川のぶをさんの談話)、昼はおにぎりであった。校長先生一家の食事の仕度にも炊事当番があった。校長先生も寄宿生と全く同じものを食べていたので、寄宿生たちは慣れない玄米食や、赤味噌の味噌汁にも自然に親しんでいった。
食事の際には暴食が戒しめられ、腹八分目が力説された。間食は与えられず、小遣も制限され、親から送られるお金を大切にすることを教えられた。厳しい躾と、質素倹約が徹底していた。岡田カツさんは、三蔵先生から「お前達に富士山を見せてやる」といわれたことをいまだに覚えている。それは、ある日の夕食後、寄宿生を全員集合させ、流し場にたまったご飯粒を山盛りにしたドンブリを示しながら、一人の捨てる量はたとえ僅かでも、皆んなの捨てたものが集まると富士山でも出来るのだと諭されたのであった。

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毎日、夜は校庭で集会を持ち、修養団歌を全員で斉唱したのち、自習時間があり、9時消灯とされていた。時には、寄宿舎自治会の集会が開かれ、オヤツとして10銭のお菓子袋が配布されて、寄宿生を喜こばせた。寄宿生に対しては、時々折々のその場を得た適切な指導がなされ、洗張りから成績不良者への特別指導、校長宅での礼法指導まで行なわれたのである。三蔵先生は、木綿のハカマを愛用しており、そのハカマの手入れも「ハカマ当番」の任務であったが、三蔵先生は案外服装には無頓着で、気をきかしたつもりでアイロンをかけておくと「こんな無駄なことをする暇があったら勉強しろ」とハカマ当番を叱りつけたりした(岡田カツさん談)。舎監であり校主でもあった三蔵先生は、これら寄宿生の管理のために、寄宿生の中から副舎監を1名任命して助手とした。
寄宿生への躾教育は将来家庭の主婦となった場合の心構えにまで及んでおり、洗濯時間は5分に制限されており、石鹸は汚れた所にだけつけて洗うように指導された。これは、嫁に行くと家事に忙殺されて、時間の余裕はないから短い時間で能率を上げるようにとの配慮に基づいた指導であった。
このような極めて厳格な指導の反面、三蔵先生は親元を離れて生活する寄宿生への慈愛に溢れており、寄宿生のすべてから暖か味のある厳父として親われていた。親元からの送金が遅れた寄宿生が、舎費や授業料を借りに行くと、「またか、しょうがないな」といいながらも、快よく用立ててくれたと松井伊都子さんは語っている。
三蔵先生の陣頭指揮のもとで自炊共同の生活が営まれ、精神修養と礼儀作法を第一として、寄宿生活は展開されていた。その寄宿生活の中で、寄宿生たちは、かけがえのない一生涯を貫く尊い教訓を学びとり、いまだに感謝の気持で追憶しているのである。

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