第8節 講堂の新築なる

※しおりを追加すると、このページがしおりページに保存されます

戦争中から終戦の年に生徒数は急増し学校は膨張してきたことと、敗戦から立ち直った若人の情熱が一挙に文芸復興の様相をあらわし、その成果の発表会・講演会・文化行事などが盛んとなってきたため、施設完備の必要性から講堂の建設をすることになった。

画像クリック/タップで拡大

昭和22年(1947)5月、当時の理事長寺部清毅先生は「学校は文化の中心にならねばならない。」との信念の下に建築工事は開始された。しかし終戦後の物資欠乏は甚しく、従って資材の入手もむずかしい状態が続き工事は困難をきわめた。
この頃の国民生活は預金封鎖の限られた生活費の中で不安定な経済生活をおくっていた時代であり、学校経営面でも教職員の急増による手当の支払いに神谷茂氏(現安城学園理事・神光紡績社長、前安城市教育委員長)から拝借してそれにあてたときもあった程である。そして世間の注目をあびながら22年10月落成式を行なう運びとなった。
「くつきりと浮んだ講堂の気高さ、今日も秋空はさわやかに澄みわたっています……」と学生代表の祝詞もたからかに。

木造モルタル 160坪
収容1,000人 一部2階平屋建
総工費 150万円

落成式典に引続き記念行事に現在も国立音楽大でご活躍の中岡房子教授を招聘し、学生生徒たちの合唱も交えて盛大な音楽会が催された。
講堂は以後予想どおり、学校行事は勿論のことつぎつぎに文化的な催物が開かれたが23年の学園祭には、バイオリニストの辻久子さんを招いて音楽会を行ない地方文化にも貢献した。

画像クリック/タップで拡大

昭和23年講堂の完成と同時に、現理事長寺部清毅先生の手で三蔵先生のご威徳をしのび講堂入口の南側に、等身大胸像が建てられた。そのお顔は厳しい中にも真の愛をたたえた眼差で、凛々しく、立派なお姿である。
講堂は昭和34年の伊勢湾台風で半壊したため、胸像もこの時移転し、現在は本館玄関前にその像が設置されている。

画像クリック/タップで拡大
目次
Copyright© 2023 学校法人安城学園. All Rights Reserved.