第2節 新校舎建築のつちおと―小堤への移転―

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『主婦の友』に掲載された、「私生児に生まれて女学校長になるまで」と題した寺部だい先生の半生の記録は、すでに定着しつつあった安城女子職業学校の名声を、全国津々浦々に及ぼすことになった。それは、向学心に燃える全国の若い女性に、独立自尊の道を身を以って示したものであり、女性の潜在する能力への目覚めを促すものであった。だい先生の人間性と、積極的で理性に富む、確固として抜くべからざる信念に感激・共鳴して、各地から安城の片田舎へ馳せ参ずる者が多く、本校への入学志願者は飛躍的に増大したのである。
大正13年度の卒業者数は95名であったが、14年度には131名、15年度には140名、昭和2年度には164名と、着実にその数を伸ばしていった。これには、大正14年度に、従来の専修科(尋小卒1年終了)、本科(尋小卒3年終了)、裁縫師範科(高小卒2年終了)の各科に加えて、高等女学校卒業を入学資格とする高等師範科1部(尋常小学校本科正教員資格取得)と、その他の女学校卒業を入学資格とする高等師範科2部(裁縫科専科正教員資格取得)とをいずれも修業年限1年として設置したこともあずかって力があった。折からの農村不況によって、中等学校への進学率は低下する趨勢が見えはじめており、とくにその傾向は女子に著しいことから、その影響を緩和しようとする配慮と、近くの安城高等女学校が、この年はじめて卒業生を送り出すことになったので、それを少しでも吸収しようとするねらいが、そこに働いていたと考えてよいであろう。
大正14年4月に、裁縫師範科へ入学した松井伊都子さんは、その年度の入学者は、ほとんど全国各地に及び、入学者のない県は4~5県にすぎず、なかでも、高等師範科への入学者は、九州から大挙14名にも達する勢いであったと話している。また、だい先生も『おもいでぐさ』の中で「夏休みに帰省する舎生に、土産として、郷里の絵葉書を、一組宛、持って来て貰うように頼みますと、その数が、二十五組程もあって、入学範囲の広いことを物語って居りました」と記している。
大正13年から昭和3年までの年度別卒業者のうち、県外出身者の数の推移(表参照)を見れば、県外からの入学者の急激な増加は一目瞭然である。このような状況から、大正14年4月には、新入生を受け入れるための教室と寄宿舎の確保に、嬉しい悲鳴を上げなければならなかった。後に職業学校と専門学校とで活躍する加藤くりゑ(旧姓久保)先生は、『主婦の友』の記事を読んではるばる神戸から、高等師範科2部の第1回の門をたたいた一人であった。加藤先生は、「入学式は、御幸町の現在の農業会館の隣りに小学校の古校舎があって、そこが分教場と呼ばれていたが、そこで行われた」(『安城学園45年史』)と記している。

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安城高等女学校は、大正10年発足当時、安城町役場の議事堂を仮校舎とし、安城高等小学校の校舎を借用して教室に当てていたが、大正12年2月には新校舎が竣工していた。(『安城高等学校50年史』)。本校は、その安城高女に不必要となった高等小学校の校舎を借りることで、なんとか急場をしのぐことになったのである。しかし、多くの入学者たちは、貧しい古校舎に荒れはてた狭い校庭を眺めて、青雲の志をそがれ、教室の中を覗いて、これで勉強ができるのだろうかと不安にかられる状態であった。
そこで、一定の生徒数確保の見込みが立ち、経営的自信を深めることができただい先生は、この機をとらえて、さらに飛躍するために新天地を求めることを考えたのである。『おもいでぐさ』によれば、人口が多く、交通の便がよく、文化水準が高く、将来の発展性も大きいということで「県下第二の都市である豊橋市に目をつけ」、ここに女専を設立しようとしたのである。だい先生のこの雄図は、校主三蔵先生の慎重論と、資金の不十分であったことと、安城市の有力者が現在の小堤の土地を斡旋するという申出をして来たことなどの理由で、ついに実現することなく終ったが、豊橋への進出は、だい先生が晩年に至るまで夢として長年抱きつづけられたのである。
この時期に裁縫師範科に学んでいた加藤なみさん(大正15年卒)は、小堤に地所を買ったというので、昼休みなどに友達と連れだって見に行ったと語っている。そこは草ボウボウの水田に囲まれた土地であったが、仮校舎住いで肩身の狭い思いをしていた生徒たちにとっては、自分たちの学校の新しい校地であるというだけで胸をはずませるに十分であった。
このような経緯で、安城町小堤の地に3,000坪の校地を確保し、大正14年10月1日、安城町長、町会議員などをはじめとする来賓12名と、職員、生徒代表の参列のもとに新校舎建設の地鎮祭がおこなわれ、校舎建築のつちおとは高らかに響いたのである。

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工事は突貫的に進められ、一部分ずつ完成する都度仮校舎を引き払い新校舎へ移って来た。大正15年3月に卒業した人達の話によると、新校舎へ入れるよろこびを胸に仮校舎から机や腰掛を運んだとのことである。こうして、大正14年度の卒業式は、落成間もない小堤の新校舎で挙行することができた。
大正15年9月までには、教室、寄宿舎ともに整備が進み、移転はほぼ完了した。記録には、「大正十五年九月十五日小堤四十一番地、四十一番地ノ二、四十一番地ノ三への移転届申請」とある。

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