第7節 活気に充ちてきた高校生活

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23年4月に設置された安城学園女子中学校は、各市町村の中学校が終戦後の混乱からやや持直しはじめてきたため、入学生は25年7名、26年8名と減少し、ここで27年度より募集中止せざるを得なくなった。一時中止して、また時期を見て募集しようと考えたのである。それとは逆に短期大学入学生の増加だけでなく、27年頃より高等学校の入学生も徐々に増加しはじめた。
だい先生は安城学園長・理事長だけでなく高等学校長も兼ね学校経営と共に、更に教育内容、課外活動、生徒指導の充実に努められた。

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高校3年になると生徒たちは数名ずつ、だい先生の自宅へ家庭実習として3日間宿泊する機会をつくられた。当時のことを辻みち代さん(旧土井みち子・昭和30年3月高校生活科卒)はつぎのように語っている。
「家庭実習の3日間は園長先生の家に宿泊して、掃除、洗濯、食事の支度、ぬか味噌の漬け方、お風呂からあがれば指圧から肩もみまで教えていただき、その3日間の楽しかったこと今でもなつかしく思われます。園長先生の食事は玄米食でお茶碗1ぱい、お野菜の実が沢山でどんぶり1ぱいのお味噌汁に生卵1こ割り入れて召し上がっておられました。72才であんなにお丈夫でしっかりしておられるのもこの玄米食で副食を多くするという食事をされるからだろうと、新しいものを発見したような気持になったのもその時でした。両親を尊敬し、小さい者を愛し、ぜいたくはせず、着るものも捨てる前に何かに作り直してそれを生かし、物を大切にするよう、かんでふくめるように教えられました。」

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クラブ活動も希望者が授業後に行うだけでなく、全員参加という形で毎週水曜日の6時限目をクラブの時間にあててその活発な動きをはかろうとした。その時のクラブは、バレーボール、卓球、ソフトボール、庭球、自然科学、書道、茶華、ペン習字、手芸、文芸、演劇、珠算、写真、美術、音楽、の15クラブがあった。対外的には大きな活躍はなかったが、はじめて昭和29年ソフトクラブが西三河大会で優勝し、愛知県大会では決勝に進出、東海大会への出場権を獲得した。これは昭和30年以後の本学園の各クラブ活動の大飛躍へのさきがけとなったといえよう。

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年間行事については大きな変化は見られなかったが、学校行事は徐々に多彩になりつゝあった。狭い校庭ではあったが体育大会、球技大会が、盛大に行われた。そして3年生の修学旅行が関東方面であったのを北九州方面に変更したのも29年秋であった。またそれまで数年間美術展、衣服展覧会など各種行事が個々に行われていたが、昭和28年2月結婚改善展を中心としたバザー、音楽会、クラブ活動展などが学園創立40周年記念学園祭として盛大に行われた。更に28年度の学園祭にはその10月西洋服装史ショウが催された。短大へ講師として来ておられた服装史の権威者江馬務先生の指導により古代より現代までの服装史が紹介された。更に29年5月には日本風俗史グランドショウが催された。この時出場のモデルは殆んど本学園の短大生、高校生であり、一時代毎にテーマがあって、二、三の人物が登場して短い会話をするという演出は、江馬先生のわかり易い説明と共に観客に大きな感銘を与え、学生生徒には深い印象として残った。

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こうして見るとこの頃のクラブ活動、そして修学旅行、学園祭、体育大会など規模こそ小さいが、終戦直後の個々の活動から、充実した内容と新しい感覚にもとづく一つの形としての学校行事がはじまったといえよう。

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