第1節 新たな時代に対応した動き

※しおりを追加すると、このページがしおりページに保存されます

経営学部の設置により総合大学へ
基盤確立期から発展期に入った愛知学泉大学では、家政学部に加え、新たな学部を増設し、総合大学への歩みを画するという、大きな動きが生じることになった。すなわち、経営学部の設置である。
愛知学泉大学に経営学部経営学科が開設されるまでの経緯は、以下のようである。
昭和59年(1984)5月29日、理事会は、大学の新たな文科系学部として、経営学部増設を決定した。その主眼とするところは、高度化、国際化、情報化する産業と地域社会への貢献を教学の柱とする経営学部の増設であった。早速、準備委員として、事務局長鈴木三重次、家政学部教授江川元偉、神田孝、石川賢作、門奈仁之の5名が指名され、オブザーバーとして事務局長代理加藤澄司も加わった。豊田市中心部より西方3.5キロの山林地区に、5万8,798平方メートルの土地を取得することが出来た。

画像クリック/タップで拡大

60年7月26日付にて、文部省に経営学部設置認可申請書を提出した。
60年9月、造成工事が開始され、61年3月に造成が完了した。
増設決定以降、学園本部の伊藤寿洪理事およびその他の担当者は、経営学部経営学科の授業科目担当の教員を集めるために東奔西走したが、61年9月上旬、担当教員の大半が適格であると判定された。
61年10月13日、東北大学長石田名香雄氏および大阪大学経済学部教授小泉進氏により、文部省の実地審査が行われた。その際、単科大学より総合大学への転換に伴う組織上留意すべきことについての助言と、図書館資料に政府刊行物を充実するよう指導があった。
61年12月23日、増設の設置認可申請が認可された。
こうして愛知学泉大学において新たに経営学部経営学科が増設されたが、これは、女子大学としての長い伝統を超えて、男子学生を受け入れるという歴史的な転換であった。
新学部の入学式および入学式後のオリエンテーションの準備のため、62年4月2日、辞令交付後の最初の教授会が開かれた。経営学部長には後藤秀雄教授、教務部長には石川賢作教授、学生部長には池田英2教授、図書館長には高橋厳教授、学生会顧問には森田保男教授が就任した。
62年4月7日、春雨けむる豊田市民文化会館にて、入学者256名を迎え、入学式が行われた。

画像クリック/タップで拡大

寺部清毅学長より入学許可が行われた。また、学長は式辞として企業家精神に満ちた若者の養成について説かれ、入学者に多大の感銘を与えた。
4月7日の入学式後の午後および8・9日の両日にわたり、経営学科担当教員の紹介、石川教務部長による履修方法の説明、池田学生部長による学生生活の注意、高橋図書館長による図書館利用方法の説明がなされた。特に、石川教務部長の履修についてのガイダンスは、極めて詳細にわたるものであった。入学生が単位制度に不慣れなため、卒業期にトラブルを惹起している例が、多くの大学でみられるからである。
この当時の大学設置基準では、一般教育科目は人文科学、社会科学、自然科学の3分野でそれぞれ12単位以上、計36単位以上、外国語科目は8単位以上、保健体育科目は4単位以上、専門科目は76単位以上で、合計124単位以上が卒業の要件とされた。その後、一般教育において複数の学問分野にわたる総合科目が認められ、前記3分野の科目の代替が可能になっていた。

本学は、経営学部発足当時に、設置基準を若干修正する方法をとった。すなわち、人文科学、社会科学、自然科学、および総合の各分野にわたって、合計36単位以上、外国語科目は12単位以上、保健体育科目は4単位以上、専門科目は80単位以上、合計132単位以上を卒業の要件とした。
そして外国語科目12単位には、英語の他に、環太平洋圏との交流を重視する観点から、中国語、インドネシア語を加えた。
さらに、専門科目の履修モデルとして、次の3種のモデルを設け、学生の指導を行うことにした。

モデル1 「経営学モデル」
 このモデルは、経営関係科目群を重点的に学び、経営学、会計学などの、最も基礎的な分野に力を入れるとともに、東海地方、愛知県などの地域産業の実態について深く学ぶ、という科目の選び方である。
モデル2 「国際経営モデル」
 このモデルに従って学習する者は、国際関係科目群を重点的に学ぶことによって、わが国の産業、経済の急速な国際化のなかで活動する知識と技能を身につけることが出来る。
モデル3 「経営情報モデル」
 このモデルは、情報関係科目群に重点を置いて学習する。経営学の基礎的理論と最新の情報処理技術の結合について学び、企業社会で必要とする経営情報の正しい取り扱いに習熟することが目指されており、特にコンピュータ技術の演習が重視されている。

石川教務部長は、再三再四、ガイダンスを行い、カリキュラム体系と履修方法の徹底に努めた。さらに入学者を50人単位に分けて、クラス担任を定め、身上相談、学習上の悩みの解消に努力した。
こうした配慮をしたうえで、62年4月10日より授業開始となった。
新入生を受け入れて授業を開始した頃には、61年2月に着工していた経営学部の建物は、大講義棟、北館(講義研究棟)、南館(図書館)、食堂棟がほぼ完成していた。
62年5月22日、食堂棟の2階で、経営学部竣工開設記念祝賀会が開催された。来賓には、名城大学長大塚昭信氏、椙山女学園長椙山正弘氏、その他県内教育界の人々を迎えた。
また、学生と教職員の親睦を図るため、6月6日には、新装なった野球場で、ソフトボール大会が行われた。

画像クリック/タップで拡大
画像クリック/タップで拡大
画像クリック/タップで拡大
画像クリック/タップで拡大

入試委員会
こうして総合大学への脱皮が着々と軌道に乗りつつある最中に、入試広報室と入試委員会を設置した。4月2日の教授会において、入試広報室長に服部平和が就任した。入試委員会は、教務部長、学生部長、その他教員数名を加えて構成された。委員会は、入試広報室と表裏一体となって、活動を開始した。
入試委員会の第一の目的は、本学の発足間もない経営学部の存在を、愛知、岐阜、三重の3県の公私立高校に宣伝することであった。3県の諸都市で進学説明会を開き、経営学部の内容を説明、また進学相談について、高校教員との交流を深めた。
その第二の目的は、入試方法の整備であった。委員会は討議を重ねた結果、推薦方式において、指定推薦、スポーツ推薦、系列校推薦、一般推薦の5種類の方式を生み出した。学科試験での選択科目も平準化した。
第三の目的は、次にみるように、18歳人口の減少期に向けての対策であった。
わが国の18歳人口は、1986年度から漸次増加し、1992年度にピークに達し、2001年度にピーク時の76%に激減すると言われている。この数は、大学進学率と大いに関係するが、私立大学にとって、冬の時代を迎えることは明らかである。
入試広報室および入試委員会では、冬の時代に対応するため、進学説明会の会場を増やし、また、試験会場を拡げることを決定した。その結果、試験会場を、豊田、名古屋以外に、金沢、大阪、浜松、東京、広島の各地に拡げることになった。
平成2年度から4年度までの都道府県別志願者数と、過去数年間の志願者、入学者の状況をみると本学への志願者は、全国的に分布し、その総数も増加していることが明らかである。

画像クリック/タップで拡大

新入生に対するチューター制度
63年に入るや、経営学部では、前年の11月に実施された推薦入試の他に、2月上旬に第一次の学科試験、3月中旬に第二次学科試験が実施され、全体で342名の入学者が第2回生として入学した。
前年に比べ80名を超える入学者の増加である。このため、教育指導を徹底させる目的で、新たにチューター制度を設けることが教授会で決定された。この制度は新入生数名に対して一人の教員を配し、単位の取得や学生生活の悩みに対して、個別相談に応じ得る態勢をとるものである。これは、2年生が外書講読、3年生、4年生が演習ⅠⅡによって少数の学生が教員と親しく接し得るのに対して1年生は教員と接する機会が少ないという問題点を解決するためであった。

経営研究所
一方、新たに誕生した経営学部の研究の活性化を目的として、62年7月、経営研究所を設立、発足させた。初代研究所長には高橋厳教授が就任した。図書館長は有安宗治教授がその後を継ぐことになった。経営研究所の所員は、家政学部における生活文化研究所と同じく、経営学部教員が兼任する。
経営研究所は、研究活動の活発化のため、次のような活動を進めることになった。

1、所員の研究発表。後期の9月下旬より、発表会は現在まで続いて実施されている。
2、機関誌『経営研究』の発刊。63年2月に第1巻第1号を発刊、平成4年3月には通巻第10号を刊行するに至っている。『経営研究』は、経営に関する論文のみでなく、関連分野や一般教育に関する論文も含んでいる。
3、外部講師による講演会の開催。講演会は、経営学部の教員や学生のみでなく、豊田商工会議所を通じて、一般にも公告され、社会人教育の一端を担っている。

平成3年現在までに開催された講演会は次の通りである。

62年12月「意思決定と価値基準」
講師・横浜国立大学教授 若杉明氏
63年3月「中国の技術継続教育の現状とその発展」
講師・中国清華大学教授 盧謙氏
63年9月「世界の中のアジア」
講師・東京国際大学教授 篠原3代平氏
平成元年3月「トヨタ生産方式の理念」
講師・元トヨタ自動車(株)副社長 大野耐1氏
平成元年6月「ソ連経済の現状」
講師・米国ニューイングランド大学教授 リマス・カルバイテス氏
平成元年12月「トヨタ・グループの戦略経営と実証分析」
講師・名古屋大学教授 佐藤義信氏
平成2年1月「アメリカ産業の国際競争力と日本企業のパフォーマンス」
講師・1橋大学教授 宮川公男氏
平成2年7月「1990年代における企業の戦略的焦点」
講師・名古屋大学教授 小川英2氏
平成2年11月「中国教育界の現状」
講師・北京第二外国語学院長 李先輝氏
平成2年12月「90年代の企業成長戦略―経営戦略としてのM&A」
講師・早稲田大学教授 桶田篤氏
平成3年5月「今後の国際情勢と日本」
講師・東海財務局長 榊原英資氏
平成3年6月「国際貢献国家日本と中部の役割」
講師・中部通商産業局長 藤原武平氏
平成3年12月「中国の企業経営」
講師・明治大学教授 藤芳誠一氏

以上13氏の講演会は、テーマが示すように、極めて広範囲にわたり、内外に本学の経営研究所の存在を明らかにする意義を持つ試みであった。

画像クリック/タップで拡大

豊田学舎に体育館が完成
経営学部の第1回入学生の夏季休暇が終わる頃、豊田学舎における管理棟の南側に建築中の体育館が完成した。この体育館は、バスケット、バレーボール、バドミントンの競技が出来るアリーナと武道場、多目的ホール、トレーニングルームを備えた近代的な体育館である。
その「こけら落とし」として、63年9月18日、体育館において武道場開きが行われ、兵法、杖道、棒の手の演武が開催された。さらに、9月23日には、当時のバスケット日本リーグ2位の三菱電機と同4位の住友金属の招待試合が行われ、豊田地区における重要な体育施設としての存在を示した。
体育館の竣工により、経営学部開設による第1期工事は完了した。

画像クリック/タップで拡大
目次
Copyright© 2023 学校法人安城学園. All Rights Reserved.