第4節 教職員の確保

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専門学校を設立するにあたって、校地校舎の整備とならんで、教員スタッフを充実することが大きな課題であった。昭和2年の職業学校の組織変更につづいて、昭和3年3月には、専門学校開設認可が得られることを前提にして生徒募集が行なわれていた。昭和3年9月に、新城高女専攻科から、安城女子職業学校専門部家政科へ転入学してきた内藤元江(旧姓大見)さんは、専攻科を出ても中等教員の資格を得ることはできないが、専門学校を出れば、それが得られるということを「安城女子専門学校」の入学案内を見て知り、矢も盾もたまらず入学した。だから内藤さんは、はじめから専門学校へ入学したものと信じていたし「安専」という文字をあしらった七宝焼の校章(写真)を誇らかに胸につけて歩いた。

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生徒募集とならんで、文部省の認可を得る上で、最大の難関となっていた教員スタッフの充実も急を要したのである。昭和3年4月には、早稲田大学出身の文学士森和夫(旧姓今枝)先生を迎えることができた。森先生の談によれば、高等学校高等科の教員免許を持った先生が欲しいということで、最初から専門学校の教員として来てくれといわれて赴任されたとのことである。この年、森先生の他に5名の先生が新しく迎えられて、教員スタッフは一段と充実した。
こうして、昭和3年度中に、あらゆる準備を整えて、昭和4年4月を期して安城女子専門学校設立の認可を得る意気込みでことは進められたのである。そのことは、山崎延吉先生の『興村行脚日記』昭和3年8月24日の条に「愈々女子専門学校が創立される運になったことを衷心喜んだ」とあることによって推察することができる。
昭和3年12月に発行された『校友会誌』第2巻第1号(写真)をみると、巻末に「女子専門学校設立資金中寄附者芳名」が載っている。校友諸姉に、女専設立について寄附金を募った結果報告である。そこには、馬場ツヤコ(旧姓真杉・大正13年師範科卒)さんや、松井伊都子(昭和2年師範科卒)さんをはじめ126名の方々の名前が列記されている。校友諸姉から寄せられた寄附金の合計額は909円50銭也であった。寄附者の名前を列記するに先だって、次の一文がある。

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「女子専門学校設立の準備も順調に進みこの分ならば十二月中には学則を皆様の処まで送る事が出来るつもりです。何卒入学生の紹介に御盡力下さるやう今より御願致します。追て開校は来年四月の予定です。」
昭和3年12月の時点で、翌昭和4年の4月には専門学校の設立認可がおりるかなりはっきりした見通しがあり、すでに学則を頒布する準備をすすめていたのである。

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