第2節 法人再建5ヶ年計画

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寺部清毅理事長は就任後、間もなく法人再建5ヶ年計画をたて、それを実施した。
第一は施設整備、貧弱な校舎設備に、安城学園女子短期大学と同附属高等学校が同居している状態から離脱することによって、学園のイメージ・チェンジをはかることであった。そのためには、安城に短大学舎と高校校舎を、また、岡崎にも短大学舎の増築を、それぞれ、鉄筋で坪単価も2万円位高いデラックスな建築様式で建てることにし、その資金手当も終え、約1億6,000万円の総工費で、竹中工務店に請負わせた。安城の町では、学園はつぶれるとの噂が立っていた際なので、市民はびっくりしたようであった。借金で喘いでいた財政下では大冒険であったが、この起死回生策は見事に効を奏した。続いて教育施設としては珍らしかった、L・L教室を新設した。

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こうした施設の整備拡充と同時に、建学の精神を教育のバック・ボーンにするために、その鼓吹をはかった。周辺私学が、戦後の学制改革により私学の独自性を喪失し、古い穀の中での教育や、経営にとらわれていたので、学校関係者から、反射的に高い評価を受け、両高校はもとより、幼稚園、短大、大学への志願者は、年と共に増加の一途を辿った。特に、高校への入学者は、第一次の急増期の後で、他私学が減少傾向を示したのに、本学園では、両高校への入学者は次のように増加した。

41年 附属高校 389名、城西高校 296名
42年 附属高校 414名、城西高校 335名
43年 附属高校 517名、城西高校 342名

第二は建学の精神を鼓吹し建学の精神を基本理念として、教育の中味を深めることであった。そのためには、本学園独自の教育課程の編成が必要であった。本学園のカリキュラムは、官公立準拠であり、何の特色もなかった。カリキュラムだけでなく、万事が官公立の後追いであった。そして、教職員はもとより、学校全体を包んでいる雰囲気の中には、私学人としての誇りや、生気や、創造力が稀薄であった。緊急を要することは、全教職員が、安城学園の人間として目覚め、私学人としての教育活動に専念する乙とであり、建学の精神の実践に基く特色のあるカリキュラムを編成することであった。そのために、入学式、卒業式、オリエンテーション等の学校行事や、各種刊行物等あらゆる機会を通じて、建学の精神の鼓吹に努め、その周知をはかった。
現行教育課程の整理統合と、特設科目の設定については、大学は、教務部長、高校は、学習指導部長、幼稚園は、園長が中心となって作業をした。特に、大学では、夏休みをはさんで、家政学では先進国であるアメリカの大学を2回に亘って視察させて、カリキュラムの研究に当らせた。同時に、研究職としての専門能力を高め、新しい大学の在り方を視察するために、1ヶ年の海外研修制度を発足させた。比較的自律能力のある大学においては、かなりの速度で作業は進行した

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