第10節 幼稚園はじまる

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幼児教育に対する関心が漸次高まりつゝあった大正15年4月22日には、勅令第74号によって幼稚園令が制定され、同時に幼稚園令施行規則が定められた。それによると、幼児のうち満3才から学齢に達する以前のものを対象として、遊戯、唱歌、観察、談話、手芸等を以って保育することとなっている。大正末期には深刻化しつつあった農村不況の嵐の中で、安城農林や安城高女でも入学志願者が定員に達しないような状況に追い込まれていた。職業学校でも生徒確保への一沫の不安があった。
その不安を、幼稚園附設によってカバーするねらいをもって、本校では、小堤町への移転と同時に、附属幼稚園を設置する計画をすゝめていた。すでに大正14年10月27日付で、幼稚園附設の認可を受けており大正15年4月10日、新装なった小堤校舎の一画に幼稚園を開設したのである。

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当時の保母資格は、高等女学校卒業者、または、同程度以上の者は無資格検定で得られることになっていたし、試験検定を受けるとしても尋常小学校准教員試験の学科目と殆ど変るところはなかった。職業学校の師範科では、この頃1年生を尋常小学校准教員の検定試験に応募させて、極めて高い合格率を得ていたので、保母資格も比較的容易に取得することが出来たと考えてよかろう。
職業学校師範科の生徒には、附設幼稚園での保育実習が課せられた。大正15年から昭和2年にかけて師範科に在籍した水野世都子(旧姓大山)さん、同時期の金巻寿子さん、昭和3年から4年にかけて在籍した谷口みつゑ(旧姓藤田)さんらは、幼稚園で保育実習をしたと語っている。
安城で町立の保育園が設置されたのは、昭和11年4月の「安城保育園」をもって嚆矢とする。幼稚園の設立に至っては、更に後のことであることを考えれば、本校が安城町の幼児教育の分野においても先鞭をつけたことを否定することはできない。
本校が職業学校を設立して、その経営がようやく軌道に乗り出した大正7年に、安城町の各小学校に実業補習学校を附設して打撃を加え、本校が中等程度実業学校へ組織変更して前進の足がかりを固めると、つぎには大正10年女子の中等教育機関として町立の安城高等女学校を開設したのである。
このように、つねに本校の教育に追従し、しかも、単に町立であるという理由だけで生徒を吸収して、本校を窮地に陥れた安城町は、本附設幼稚園がその地歩を確立した昭和11年、「安城保育園」を設立することによって園児を奪ったのである。そのため、安城保育園設立と同時に本附設幼稚園は閉鎖のやむなきに至った。それにしても、誇り得るのは、常にこの地方の先駆的教育機関としての役割を果し、時代を一歩先んじて歩んで来た本校の姿である。

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