本学園においては昭和のはじめから10年余附設幼稚園を経営し多年に亘って幼児の保育に大きな貢献をしてきたが、昭和11年廃止されていた。しかし戦後、幼児保育の重要性が強調され各方面からの要望もあり昭和24年4月安城学園附属保育園を開設した。
入園案内に書かれている保育方針
一、養護―幼児の心理的発達に即した養護教育を行います。
一、良い習慣―幼児の生活のいとなみに重点をおきよい習慣の養成をいたします。
一、情操の陶冶―高雅な情操生活への導きをいたします。
一、科学的素養―幼児の科学的精神を養成し、科学的態度を形成します。
一、社会性―幼児の民主社会生活への注意と指導をいたします。
しかし昭和24年12月私立学校法が公布された。それに伴って私立学校はすべて学校法人が設置することとされ、学校法人では保育園は経営できないことになった。そのため1年でこれを廃園せざるを得なかった。改めて学校教育法にもとづく幼稚園に切換え、昭和25年4月1日愛知県知事の認可をえて定員100名の安城学園女子短期大学附属幼稚園として出発するに至った。開園後はかっての経験と保護者の熱意もあり順調に発展し近くの小学校より高く評価されるようになった。女子中学校、女子高等学校生徒の減少による学校経営への対処の一方法でもあったが、更に別の形として設置されたのが“安城学園家政文化学院”である。この文化学院は昭和24年9月1日各種学校として認可され、「女子に洋服裁縫の知識技能を専門的に授け、且つ礼法及び家政の研修をなさしめ、これを通して職業婦人として又家庭婦人として円満な婦人を育成するを目的」(学則第1条)として生れたのであるが、これはまた寺部だい先生の女子教育への熱意のあらわれとも見られる。すべてのものが新しいものにぬりかえられてゆくのに対しての、むかしへの懐かしみもあったと考えられる。自身の趣味特技を生かしての本当の教育がしたかったのである。
この家政文化学院は本科1部の入学資格が高等学校卒業者、2部が中学卒業者であった。なおこれはその後昭和29年3月短期大学の別科への組織がえという形で廃止された。