敗戦に伴う学制改革によって本学園の歴史も大きな区切りをつけなければならない。昭和22年3月教育基本法、学校教育法が施行され、同年6・3制の新しい小、中学校が1せいに発足した。愛知県下ではこの年4月公立286校、私立33校 […]
大正6年より30年間余続けられて来た安城女子職業学校の名称が廃され、安城学園女子高等学校となったのは昭和23年4月であるが、その直後の6月財団法人安城女子専門学校を財団法人安城学園と名称変更した。安城女子職業学校、安城女 […]
本学園においては昭和のはじめから10年余附設幼稚園を経営し多年に亘って幼児の保育に大きな貢献をしてきたが、昭和11年廃止されていた。しかし戦後、幼児保育の重要性が強調され各方面からの要望もあり昭和24年4月安城学園附属保 […]
学校教育法第69条の2によって大学の他に短期大学という2か年の大学を設立することが出来るようになり、安城女子専門学校を大学にするか、短期大学にするかが、まず最初の重大な問題点となった。それはまた安城女子専門学校の廃止にも […]
短期大学の設置に伴い宮沢文吾農学博士を学長にお願いしながら充分な待遇もできず、しかも学長が遠方に住んでいたために発足にあたって山積する問題も仲々相談もできず苦慮していた。そんな時寺部だい学園長が20年程前に世話になった東 […]
新らしい学制のもと、苦しみのうちに出発した女子高等学校、女子短期大学がようやくその日暮しの貧しさの中から明るさを見出して古い制服に何かちょっと飾りがほしくなる程度の心のゆとりが出はじめたのが昭和25・26年頃であった。そ […]
23年4月に設置された安城学園女子中学校は、各市町村の中学校が終戦後の混乱からやや持直しはじめてきたため、入学生は25年7名、26年8名と減少し、ここで27年度より募集中止せざるを得なくなった。一時中止して、また時期を見 […]