第4節 活発化したクラブ活動

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運動部の充実

岡崎城西高等学校の運動部は、55年度(1980)には、栃木国体で、陸上競技部の山本久義君が100メートルに優勝、同年度の冬の全国高校選手権においては、サッカー部が第3位になるなど、顕著な活躍であった。
運動部は、その後、57年度以降は、さらに力をつけ、全国レベルの実力を持つクラブが増えてきた。
陸上競技部は、60年度の石川総体には出場できなかったものの、毎年、全国総体に出場を果たしている。

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62年度の北海道総体では、宮地克典君は、巧みなハードリングで、110メートルハードルに6位入賞した。63年度の兵庫総体では、日与川寿康君は、円盤投げで4位入賞した。平成2年度の宮城総体では、宇野雅昭君は、走り高跳びにおいて、持前のばねと長身を活かし、2メートル18をクリアーし、第2位(1位とタイ記録)に輝いた。平成3年度の静岡総体では、松田智信君は、砲丸投げ、円盤投げの2種目に出場し、円盤投げで7位に入賞し、8月に行われた日中ジュニア陸上競技大会(北京)にも出場した。この他、冬の高校駅伝は、全国大会出場はならないものの、東海高校駅伝には毎年出場している。

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本校の第17回卒業生(55年卒)で、陸上部の長距離で活躍し、53年度の福島総体に出場した赤堀正司君は、早稲田大学に進学し、60年1月には、箱根駅伝で、復路のトップ(この年早稲田優勝)を走った。以下は「箱根駅伝の思い出」と題する同君の手記である。

「高校在学中は、陸上部に所属し、卒業までの3年間、矢作川の堤防を走り回っていました。1年次に1500米で、はじめて全国インターハイに出場したものの、これといった実績は挙げることは出来ませんでした。その後、早稲田大学に進学したのですが、その理由は、『箱根駅伝の走れる大学に行こう』という夢を持ったからです。入学後は、順風満帆という訳ではありませんでした。全国から精鋭が集まるなかで、なかなかメンバーに選ばれず、何度も陸上を止めようかと思いました。しかし、高校時代の夢は捨て難く、大学4年の最後のチャンスに、やっと箱根駅伝メンバーの座を勝ち取ることが出来ました。60年の正月、復路6区、山下りのメンバーとして走り、早稲田の総合優勝も経験出来ました。降りしきる雪の中を復路の一番手として、午前8時に芦ノ湖畔をスタートし、7区の走者にトップでタスキを渡したことは、絶対に忘れることは出来ません。毎年、箱根駅伝を見ると、当時の自分を思い出し、心が熱くなります。大学卒業後は、いっさい、競技を止め、1サラリーマンとして、日夜仕事に追われる毎日です。しかし、青春時代に一つの夢を持ち、それを実現したという自信が、現在の私自身のパワーとなっていることと確信しています(後略)。」

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ハンドボール部も、最近10年間で着実に実力をつけ、全国のトップレベルの位置にある。
58年度の愛知総体に初出場し、ベスト8となった。
そして平成元年度の高知総体では、6年振り、2度目の出場であったが、みごと第3位の栄光に輝いた。主力メンバーは、堀木敬仁、石田英夫、金子哲也、橋本直昭、清水美津夫、丹羽敏之、山ノ内則正の諸君である。彼等はその年の北海道国体にも県選抜の主力となり、第4位になっている。
この他、春先の全国選抜大会には、この10年間で7回出場しており、選抜常連校となっている。本校は、この選抜大会後、全国から名古屋に集まった強豪チームを岡崎の地に招き、「全国高校交歓ハンドボール大会」と冠する強化練習会を主催している。
このようにして鍛えられたなかから、本校初のオリンピック選手が出た。本校を58年度に卒業し、本田技研鈴鹿に入った橋本行弘君である。昭和63年(1988)のソウルオリンピックに出場し、ゴールの主護神として活躍した。彼は、責任感のある人柄により、平成4年から全日本ハンドボールのキャプテンでもある。

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60年度の石川総体から、7年連続して全国総体に出場している本校のバドミントン部は、東海4県では無敵の存在である。
特に、63年度からは、団体・個人単・複ともに、県内を完全制覇している。全国選抜大会にも、5年連続出場している。
しかし、全国大会ではなかなか上位に入れない。そんななかで、平成4年3月に開催された全日本ジュニア選手権には、個人単で井嶋寛興君、鈴村雅弘君、個人複でも、井嶋・鈴村組が出場した。

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サッカー部は、58年度の愛知総体に県1位で出場し、準々決勝で、0-1で暁星に敗れ、ベスト8であった。
この年の5月には、ニュージーランドのシャーリー高校が来校し、本校のサッカー部と親善試合を行った。あいにくの雨で、グラウンドコンディションは最悪であったが、真剣味のある激しいゲームを展開し、友好親善を深めた。
サッカー部は、62年度の冬の高校選手権では、6年振り、4回目の出場を果たした。前評判は高かったが、惜しくも1回戦で鹿児島実業に1-2で敗れた。
伝統あるサッカー部には、活躍しているOBも多い。62年には、53年度の卒業生で、現ヤンマーディーゼルのプロ契約選手である梶野智幸君は、全日本の選手として、ソウル5輪予選に出場した。また、58年度卒業で現在は三菱自動車の生田久貴君、同年度の卒業で、ヤンマーディーゼルの梶野智君も、プロ選手として活躍している。

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バスケットボール部は、平成元年度の高知総体に、12年振り、4回目の出場をしたが、惜しくも1回戦で長崎の瓊浦高に敗れた。
山岳競技のワンダーフォーゲル部は、61年度の山梨国体、63年度の京都国体と出場した。全国総体には、平成元年度の宮城総体に初出場し、第8位であった。県内では常にトップレベルであり、全国大会を常に狙えるクラブである。

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剣道部は、57年度の鹿児島総体、平成2年度の福岡国体と、それぞれ個人戦に出場した。団体での出場は、なかなか出来なかったが、平成3年度の第1回全国選抜大会(3月開催)に初出場が決まった。
高校総体の種目にはまだ入っていない競技であるが、パワーリフティング部は地道に努力している。58年度の第1回大会以降、毎年8月に埼玉県で開催される全国高校選手権会に毎年出場し、好成績を収めている。

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なお、本校の運動部OBには、高校時代に柔道部であったが、第18回生として57年に卒業し、自衛隊入隊後にレスリングを始め、平成元年のアジア大会(東京)ではグレコローマン100キロ級で、金メダルを獲得した近藤務君(現、自衛隊体育学校)がいる。彼は、62年にも同大会で、銅メダルをとっている。現在はバルセロナ5輪代表を目指し、特訓中。以下は「国際大会への道」と題する同君の手記である。

「私がレスリングを始めたのは、先生のなにげない言葉と、人との出会いがあったからです。高校卒業直前、柔道部顧問の鋤柄先生に、『お前は柔道よりレスリングのような競技が向いているかもしれない』と言われたことがありました。自衛隊入隊後の教育期間中に、自衛隊体育学校のレスリングOBの方と出会い、体育学校の集合訓練への誘いを受けた時、先生の言葉を思い出しました。そして、自分自身を試す意味で、レスリングへの道を歩んでみようと決心しました。
初めのうちは、右も左もわからず、ただ無我夢中で練習についていくのが、やっとでした。2年目から、なんとか、自分なりの練習が可能になり、少しずつではあるが、レスリングが判るようになって、自分なりの目標を持てるようになりました。目標を持つことがいかに大切であるか、また、それに向かって努力することが、どんなに自分を前進させるものであるかを実感しました。
レスリングを始めて3年目、念願の全日本選手権で優勝出来ました。私にとっての初タイトルなので、言葉では言い表わせないほどの喜びでした。また、その年に開かれたアジア大会(韓国)の日本代表に選ばれ、海外での大試合への初出場でもあり、大いに闘志が沸きました。大会では、予選で韓国選手に敗れて、ブロック2位。そして3位決定戦へと進みました。メダルの懸かった試合だけに、息苦しいほどのプレッシャーをはねかえしつつ、なんとか、パキスタン選手に勝ち、銅メダルを獲得することが出来ました。ヤッタという気持ちと、優勝出来なかった悔しさが入り混じり、複雑な心境でした。そして平成元年には、茨木県大洗でのアジア選手権で優勝しました。私にとって初めての日章旗をメインポールに上げたのです。表彰台で『君が代』を聞いた時は、胸の中が熱くなり、涙がこぼれそうになりました。高校3年間、柔道で苦しみ、頑張ってきたことが、形を変えてではあるが、自分の身についたという思いがしました。」

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本校の運動部は、この10年間に全国大会に出場出来なかったクラブも、着実に力をつけてきており、県大会出場はあたりまえ、東海大会出場が普通という状況になってきている。本校は、61年度から始まった県高校総体西三河支部男子総合成績では、毎年、他校を大きく引き離し、優勝している。

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文化部の活動
本校の文化部は、現在、32の部があり、文化祭での発表を中心に活発に、活動、研究を行っている。最近の主な話題を挙げると、以下のようである。
自然科学部は、平成4年度の校舎増改築で設置された天体ドームで、意欲的な活動を行っている。直径6メートルのドーム内には、口径では県下2番目の大きさの50センチニュートン・カセグレン式天体望遠鏡が備えられている。
昼間は、その主鏡に搭載されている8センチと12センチの屈折望遠鏡で、単色干渉フィルターと恒温装置を用い、太陽面のHα単色像で、黒点を中心とした太陽表面の活動とプロミネンスのスケッチ、写真撮影、ビデオ撮影を行っている。夜間は、50センチの主鏡を利用して、惑星、星雲、星団のビデオ撮影を、超高感度の撮影装置にて、画像処理している。
こうした活動のなかで、平成3年8月12から13日にかけて、ペルセウス流星群の観測を、下山村で実施した。その時に撮影した流星写真は、中日新聞社主催の「今月のアングル」で、優秀賞を受賞した。この他、黒点観測・気象観測は10数年にわたって続けている。

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インターアクト部は、「奉仕と国際理解」を目標として活動しているクラブである。
同部は、地域奉仕として、公園の遊具などのペンキ塗りや、除草、矢作川堤防周辺のゴミ拾いを行っている。毎週土曜日には、近くの身体障害者施設の手伝いもしている。その他、岡崎市社会福祉協議会から依頼された行事にも積極的に参加している。校内では、手話や朗読練習、ボランティアについて学習している。
こうした日頃の奉仕活動が認められ、同部は、59年には愛知県知事より感謝状、平成3年には、第3回全国ボランティア大会において厚生大臣賞を受賞した。
同部はまた、岡崎南ロータリークラブの援助により、毎年3名の部員が、ハワイ研修に行き、国際理解を深めている。

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英会話部では、永田克巳君は、第3回上野学園ゴードンストーン英語コンテスト第2位をはじめ、愛知大学オープンスピーチコンテスト、全関西高校生英語弁論大会など、7つの英語弁論大会に出場し、優勝は出来なかったが、すべて第2位の成績であった。
他の文化部も、漫画研究部、鉄道研究部など、これらの部に負けじと地道な活動を積み重ねている。

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