生徒数急増期にあって新たな出発を期す 男子校の岡崎城西高等学校においては、昭和56年(1981)4月に、富田太先生が校長として就任した。長年にわたる県内公立高校長としての実績が高く評価され、3年間の安城学園高校の校長を務 […]
進学の実績上がる 岡崎城西高等学校は、進学校としての社会的評価が次第に高まってきた。 昭和62年(1987)度の大学入試においては、本校創立以来の大量の合格者を記録した。 その内訳は、東北大、金沢大、名古屋大などの国公立 […]
夏山合宿 本校の独自な行事の、3年生全員参加の北ア登山の夏山合宿は、営々として、続けられている。 現代の若者は職業選択の際、「きつい、きたない、きけん」な職業は極力避け、楽で、清潔で、危険性の少ない仕事につきたがるという […]
運動部の充実 岡崎城西高等学校の運動部は、55年度(1980)には、栃木国体で、陸上競技部の山本久義君が100メートルに優勝、同年度の冬の全国高校選手権においては、サッカー部が第3位になるなど、顕著な活躍であった。 運動 […]
推進委員会 岡崎城西高等学校では、26年間にわたって育んでくれた校舎の終焉、そして、新たな城西高校の胎動、という出来事があった。 創立1年後に建てられた校舎は、建物が老朽化し、旧い建築構造のため、使用上の不便さがあった。 […]