第1節 全体の流れ

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安城学園創立90周年以降、この10年の高等教育機関を取り巻く状況は、きわめて厳しいものがあった。とくに18歳人口の減少は、全国の短期大学・大学のあり方に大きな影響を与えている。その中で短期大学の数はかなり減少してきた。生き残りをかけて4年制大学化する動きが目立った半面、経営難に陥り募集を停止した短期大学も少なくなかった。それに対して、愛知学泉短期大学(本学)は、一方では困難な状況にかかわらず常に定員を充足し、他方では懸案であった幼児教育科(桜井学舎)の岡崎統合を実現するなど、きわめて充実した活動を行ってきたといえよう。それには、たゆまぬ努力があったことはもちろんである。
まず、平成15年(2003)に、「生活科」の名称を「食物栄養科」とし、翌年には「幼児教育科」と「食物栄養科」の名称を「幼児教育学科」および「食物栄養学科」とした。また、大胆な改組転換により学生自らがそれぞれ学習目標や進路に応じて、多彩な学習分野を網羅するフィールドの中からユニット単位で科目を選択履修する方式を採用した「生活デザイン総合学科(地域総合科学科)」を開設した(そのため服飾科・家政科・国際教養科は募集停止とした)。こうした本学の改革は、寺部曉学長(理事長兼任)の下で行われた。
この寺部学長の改革の方針を受け継いだのが、安藤正人学長である。安藤学長は、学長選考規程に基づき選出され、平成16年(2004)4月に寺部曉学長に代わって学長に就任した。安藤学長の下で、寺部前学長が構想した愛知学泉短期大学のさまざまな改革が継続された。

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安藤学長は、名古屋保健衛生大学衛生学部(現藤田保健衛生大学)卒業した。主に生理学・神経化学領域の研究に従事(医学博士)し、アメリカに留学した。本学就任後は、生活科(現食物栄養学科)主任、教務部長を長年務めてきた。
安藤学長のもとで行われたもっとも大きな事業は、幼児教育学科の岡崎学舎への統合である。幼児教育学科は、学園の創立者寺部だい先生の生誕の地、安城市桜井町に学舎を置いていた。しかし、この桜井学舎は老朽化し、かつ短期大学の統合が望ましく、それらが懸案になっていた。そして、さまざまな経緯ののち、平成19年(2007)には、幼児教育学科が安城市桜井学舎から岡崎学舎に移転・統合となった。ここに、食物栄養学科・幼児教育学科・生活デザイン総合学科が1堂に集い、あらたな門出となった。

また、この間の本学の努力は、いわゆる「第三者評価」での「適格」という評価にも繋がっている。平成18年(2006)3月には認証評価機関である一般財団法人短期大学基準協会が実施する第三者評価を受審し、本学の自己点検自己評価の活動の結果に基づき、「適格」の審査結果を得て、その評価内容は公表されている。また、平成21(2009)年度には湊川短期大学(兵庫県3田市)との間で「相互評価」を実施し、互いの教育活動の現状について当事者の努力の成果を一般財団法人短期大学基準協会の評価基準に照らして検証し公表した。文部科学省は、平成20年(2008)4月から教育力の向上を図る「FD活動」を、また平成23年(2011)4月からは「大学の教育情報の公表」を大学組織に義務づけている。このように、社会から高等教育の質の保証が強く求められている今日、2年間という短期間に社会の即戦力となる人材を育成しなければならない本学としては、このような社会の要請にどこまで応えているか、また今後どこまで応えうるかなど、不断に自己の点検と評価を行う必要が益々高まっていると言えよう。
この他の動きとして、本学園は平成20年4月、岡崎市のPFI事業(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ:社会資本整備の民間事業化)を担う特別目的会社「岡崎げんき館」の構成員として、「岡崎げんき館」の運営に参画することとなった。その岡崎げんき館で行なわれる子育て支援や市民健康づくり支援の一部と学生ボランティア活動を本学が担うこととなった。また同年には、烏山大学(韓国、烏山市)と学術・文化交流協定を結び、学生や教職員による活発な交流が定期的に相互間で行われている。

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