(1)3浦定夫学校長着任
平成7(1995)年4月、3浦定夫が新学校長に就任した。新カリキュラムスタート4年目の就任で、学校改革・教育改革途上の本校にとっては格好のタイミングであった。それと同時に、3浦学校長の丁寧な学校管理・運営の姿勢は、新しい学校像の模索を始める契機にもなった。3浦学校長は本校の伝統を尊び、人間の尊厳を大事にした。3浦学校長は着任早々、学校の広報誌「彩雲」に以下の文章を寄せている。
「本学園は創立85周年を2年後に迎えるほどに長い伝統をもち、女子教育の分野では高く定着した評価を得ています。半世紀以上にもわたって、多くの同窓の先輩諸姉を育くんできた『建学の精神』が今も脈々と受け継がれ、守られ続けています。次に伝統校でありながら、今、本校の取り組んでいる教育は、新しい多くのチャレンジに満ちています。完全な週5日制を先導的に実施して、土曜日を開放し、フィールドワークや自学の日として活用しています。また『女性学』や『創作活動』など独自の科目を設けたり、海外研修をも含めた多くの教育活動を展開したりしています。
更に、生徒のみなさんが実に明るく、伸び伸びと学校生活を送っているのに目をみはっています。制服がファッション性に富んでいることも原因の一つかと思いますが、一人一人の表情が生き生きしていて、元気に満ちています。生徒のみなさんがお互いに友情を大切にして、毎日の学校生活を楽しく送っていてくれるためだと思います。
以上、特に際立って私の目についた3つの点から学園高校の良さを述べてみました。それらのすばらしい特徴を今後も一層充実させ、発展させていきたいものです。生徒のみなさんを中心にして、教職員や保護者のみなさんと協力して、日々の努力を積み重ねていきたいと考えています。
本年度の教育重点目標の一つに『誇りある学園の一員であることを自覚して、品位があり、信頼される人間となることを目指す』という指導方針を掲げました。この方針は、生徒の皆さんに更に精進努力を期待するものであると同時に、本学園の精神的なバックボーンである『真心・努力・奉仕・感謝』の四大精神を、全校生徒に身につけて欲しいと願ってのことです。人は一人では生きていくことができません。人が人との関係で生きていくためには、この4つの精神は人間として欠くことのできない基本的な理念です。本学園で学ぶ3年の間に、あらゆる活動を通し、このことを体得して欲しいのです。その努力が、誇りある学園生を育ててくれるものと確信しています。」
(2)吹奏楽部全日本吹奏楽コンクールへ初出場
平成7年度は部活動、生徒の活躍も目立った。吹奏楽部が長年の夢でもあった全日本吹奏楽コンクールへ初めて出場し、金賞を受賞した年であった。「彩雲」には金賞受賞を喜ぶ生徒の記事がある。
「勝つためでなく音楽にしよう、とわずか12分という演奏時間に今までのすべてを込めて演奏しました。「ブラボー」とともにたくさんの拍手が聞こえてきます。私達は一つのことをやりおえた充実感、満足感でいっぱいでした。そして迎えた審査発表、「19番安城学園高校、ゴールド、金賞です」。今までの苦しさや辛さが喜びに変わった瞬間でした。吹奏楽をやっている人のあこがれであり、一つの目標である全国大会金賞を私達は初出場にして手にすることができたのです。」
吹奏楽部は11月に開かれた全国マーチング大会にも出場し、フェスティバル部門で金賞、グッドサウンド賞を受賞した。国体には女子やり投げで3年の石田桂が4位入賞し、バスケットボール女子では笠原久美子が選抜メンバーに選ばれ、優勝に貢献した。冬季インターハイスケート競技には八木さゆりが2種目出場した。合唱部の永井香澄は広島で開かれたジュニアエレクトーンコンクールで銀賞を受賞した(全国2位)。
国際交流部の丁寧な指導もあり、留学も盛んになってきた。オーストラリアとアメリカへ4名の生徒(加藤、井上、勝田、伊藤)が1年間の留学をした。海外からもグエンダ(ニュージーランド)、スカイ(オーストラリア)の2名を1年間長期の留学生として受け入れた。
学園祭も質の高いものが多く出展され、「ASIA」「エコロジー」をテーマに「アウンサンスーチー女史」「フイリピーノ」「ひめゆりの乙女たち」「牛乳パックで何かでかいものをつくろう」などアジア、環境との共生を意識した取り組みが高評価を得た。
生徒会は阪神・淡路大震災の被災者に対して送る義援金募金活動に取り組むとともに「震災で親を無くした中学・高校生に奨学金を送る運動」に参加。仮設住宅で暮らす被災者の方々、特にお年寄りの人を励まそうと12月22日に1,300枚あまりの心のこもった「元気メール」を神戸に送った。
第8次となった生徒会ミュージカルは、実行委員30名が中心になり「MYSELF」を完成させた。
(3)吹奏楽部2年連続全日本吹奏楽コンクールへ出場・永井香澄電子オルガン部門で日本1位
平成8年度も引き続き、部活動、生徒の活躍が続く。吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクール全国大会へ2年連続出場(銅賞受賞)、弦楽部は全国合奏コンクール東海北陸大会で最優秀賞を受賞し、初めて全国大会に出場した。3年の永井香澄は第4回高校生国際芸術コンクール電子オルガン部門で第1位となった。ソフトテニス部では長坂歩美と山田真琴(ダブルス)がインターハイに出場し、国体には木村ゆか(ソフトボール)が選抜メンバーとして出場した。
イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドへは9名の生徒が1年間留学、ニュージーランド・オーストラリア・カナダからは4名の生徒を1年間留学生として受け入れた。
生徒会ミュージカルは第9次となり「ミエナイワタシ」を完成させた。
授業改革運動では第7回サマーセミナーの会場校を7月に引き受けた。本校からは4日間で父母・教員計868名が参加した。講座では社会・数学のクロスオーバー授業(エジプトの縄張師)、社会科合同チームの授業(アジア講座)、理科・社会のクロスオーバー授業など25名の教員が講座を担当した。
(4)創立85周年・3つの地域でオーケストラ演奏会開催・吹奏楽部3年連続全国大会出場
平成9年度は創立85周年行事のひとつとして吹奏楽部、弦楽部、合唱部が一体となって「第5回オータムコンサート」を11月に安城・岡崎・豊田の3カ所で開催した。各地域の方に親しんでいただける演奏会をめざした。
学園祭では「からくり時計」「演劇ライフアンドハート~悲しみの果てに」など質の高い作品が目立ち、父母や地域の共感を集めた。学園全体の方針として『地域と共につくる学園』が鮮明に出され、土曜講座や公開講座、フィールドワークでもそれを意識した取り組みや工夫がされ、父母や地域の方の参加が目立つようになってきた。病院実習や施設ボランティア、幼稚園実習に参加する生徒が多く出た。
12月の第6回世界史セミナーは「中欧の光と影~アムステルダム・ワルシャワ・クラクフ・ウィーンの旅~」をテーマに「アウシュビッツ」を訪れた。参加者を中心に、その後、学内で数回の写真展を開催した。
部活動では吹奏楽部が3年連続全日本吹奏楽コンクールに出場(金賞受賞)し、全国選抜オーケストラフェスタに弦楽部が吹奏楽部と組んでオーケストラとして初出場する。インターハイにはソフトテニス部の鈴木昭江、鈴木美香(ダブルス)が出場する。
(5)地域と共につくる学校づくり・新校舎南館新築工事始まる
平成10年度は、2年前から検討してきた創立以来女子教育一筋に歩んできた学園が共学へ移行することを決定した年であった。21世紀を目前にして、地域の人たちから支持され、更に発展を続ける学校でありたいとの願いからの決定である。学校にとって大きな変化の年であった。10月の安城中央商店街の祭り(サンクスフェステバル)への協力要請に応えて、3年学年会の生徒が初めて参加した。
南館校舎が30余年の役割を終えて8月末で取り壊され、共学用の新校舎の建設が始まった。体育館も生徒の新たな活躍を期待し、武道場、舞台を新たに加えた全面改装工事が8月から始まった。
(6)吹奏楽部、全日本吹奏楽コンクールで全国の頂点に立つ
吹奏楽部は昭和62年度から、東海吹奏楽コンクールへ愛知県代表として連続出場をしてきた。特に平成3年度からは、7年間連続して東海吹奏楽コンクールで金賞を受賞してきた。しかし、全国大会の壁は厚く高かった。この期間に、昭和63年度中国、平成2年度オーストラリア、4年度、6年度カナダと、海外演奏旅行を実施し、実力を蓄えた。そして7年度、ついに念願の全国大会初出場を決めた。
全国大会の会場は東京の普門館、聴衆が6,000人入る全国の吹奏楽部員のあこがれの舞台で、本校の吹奏楽部は堂々と演奏した。そして全国で9校にしか与えられない金賞を受賞した。同年は全日本マーチングフェスティバルの全国大会にも初出場し、最高の賞であるグッドサウンド賞も受賞している。
その後、吹奏楽部は8年、9年と全日本吹奏楽コンクールに3年連続出場を果たす。11年からも3年連続出場を果たし、うち11年、13年には金賞を受賞、通算4度受賞し、ついに全国の頂点に立った。
また全日本アンサンブルコンテスト全国大会へも4度出場し、うち2回金賞を受賞している。更に平成14年度には日本で最高に権威あるクリニックの日本バンドクリニックにモデルバンドとして招かれ、好評を得るまでになった。
(7)吹奏楽部・弦楽部によるオーケストラ活動
吹奏楽部と弦楽部は昭和63年からジョイントでオーケストラ活動を続けてきたが、平成12年度には全国学校合奏コンクールにおいて最優秀賞、内閣総理大臣賞、文部大臣奨励賞、NHK会長賞、ヤマハ賞を受賞するまでに成長した。またこのオーケストラ活動は、毎年秋に合唱部も参加して、オータムコンサートを開催している。
(8)創作ミュージカル
昭和63年の「SEVENTEEN」に始まったミュージカルは、平成7年には第7次「BELIEVE」~アモ、虹の中に~、第8次「MYSELF」~我が心のアルクブラス~、第9次「ミエナイワタシ~AGAINST WAVE~」、第10次「ローザンヌ、途方もない夢」を完成させた。毎年6月には創作委員会を立ち上げ、合宿を含めた生徒の討論のなかで脚本を完成させている。
創作ミュージカルにかかわってきた鳥山紀博教諭が、7年11月の安城学園高校紀要に「ミュージカルにかかわる生徒群像」と題した文章を掲載している。
「創作ミュージカルの活動に参加して来る生徒たちは様々で、その多くがクラブ等には所属していない、いわゆる『帰宅部』の生徒で占められている。クラスでの人間関係をうまくつくれず、自分の居場所を求めて来る生徒。最近始まったことではないが、クラスの中でグループ化する関係に飽き足らず、広い人間関係を模索する生徒。とにかく自分を表現することが苦手だが、黒子に徹することで自分の存在感を作り上げようとスタッフとして参加してくる生徒。とにかく中学時代とは違った高校生活を送りたいという『より自分らしさを求めて』ミュージカルに拘わって来る生徒は、『キャスト』として舞台に立つことを望む者もいれば、そこまでは踏み込めないが、とにかくスタッフで関わりたいと希望を語る。新入生歓迎会の舞台を見て、輝く先輩に自分の高校生活をダブらせ、フレッシュマンキャンプで堂々と熱っぽく語るミュージカル経験者の先輩から触発されてきた1年生。1年生の時は、参加するというハードルの前で躊躇してしまったが、最後のチャンスに思い切って飛び込んできた2年生。ひとつの舞台を作るために集まった生徒たちは個性をぶつけ合いながら逞しくなっていく。
ほぼ1年をかけて最後の舞台を迎える頃には、お互いを認める関係にまでなる。生徒も教師も同志的な絆さえ感じる事もある。その後の彼女達の中には、高校生活を主体的に生きる層として、クラスや学年のリーダーとして活躍する者もいれば、ミュージカルが終了後、4時に帰宅する自分に空しさを感じ、学園祭や高校生フェスの実行委員の活動に参加する者もいる。創作ミュージカルは生徒の自己実現の一つの場として、学園の中に定着して来たようだ。さらに、この活動が教師の生徒を見る目を変えさせている。画1的な物差しで生徒を見がちな時に、ひたむきで頼もしい生徒たちの取り組みは、教員の生徒観の変革をもたらしているように思う。また、地域や父母の反応もこの活動をさらに勇気づけてくれるのである。」
[創作ミュージカル14年間の歩み]
○平成元年 第1次『SEVENTEEN』
1988年春、安城学園でもミュージカルをやりたい! その思いが89年2月の「卒業生を送る集い」の第1次ミュージカル「SEVENTEEN」で実現した。専門家や経験者がいたのではないが、生徒と教師が手探りで始めたミュージカルは教師のキャスト出演をふくめ、生徒の自主活動を支える教師の思いがあった。また、「SEVENTEEN」のテーマ『本当の“賢さ”』は、それ以後の私たちの自主活動を支える大きな柱であり、授業構造の改革につながる普遍性を持つことになっていった。「生徒の弱点ばかりにつきあわされていた毎日だったが、ミュージカルを見て生徒を見る目が変わった。」(本校生活指導担当教員の感想)
○2年 第2次『ルシファー』
2年目の「ルシファー」は「先生たちに頼らないで自分たちでつくりたい」が生徒の思いで、脚本創作からキャスト、スタッフ、そして演出まで生徒が担当した。そしてテーマの『交わる言葉』のモチーフも生徒を取り巻く状況のなかから出てきたものだった。
「こんなに多くの生徒が一生懸命に舞台に立っている姿はとてもたくましくみえます」(卒業生の感想)
○3年 第3次『ROUGH(ラフ)』~さまよう風~
ノウハウを獲得し始めた2年目からマンネリが始まるのだが、「SEVENTEEN」から3年目の「ROUGH」のミュージカルづくりはマンネリとの対決も大きなテーマとなっていった。「ROUGH」のテーマは『“優しさ”の挫折と再生』だった。
「ミュージカルが続いていることがとってもうれしくて、私たちの時より本格的になって、ちょっぴりうらやましいけど、これからも絶対続いてほしい」(第1次のミュージカルにかかわった卒業生の感想)
○4年 第4次『Moment』
安城学園創立80周年の年、テーマをどこまで掘り下げられるかにこだわった。長時間のテーマスト・スタッフの全員で行った2回のテーマ討論会。また、一般公演に向けての取り組みはスタッフ・キャストをミュージカルの原点に立ち返らせ、「ミュージカルづくりは運動である」ことを実感したものだった。
「私にも確かにスタッフ、キャストのみんなのように熱くなれる時があったはずですが、みんなで一つのものをつくりあげる素晴らしさ、一生忘れてほしくないものです」(一般の方からのコメント)
○5年 第5次『Who?』
ヴェトナムからのボートピープルと中国残留孤児の娘、そしてそれをとりまく私たちの世界を描いた『Who?』のテーマは「異質」。自分と違うものはすべて「異質」なのか。自分たちの勝手なイメージや狭い体験だけで異質をつくりだし、排除していないか。私たちは「異質」をどうとらえ、どのように向き合っていけば良いのかがテーマとなった。
「卒業生を送る集いの前日は本当に怖くて、自信がなくて、もうグチャグチャに泣きました。でも本当にミュージカルやって良かった。安城学園にきて本当に良かったと思いました。」(キャストで参加した生徒の感想)
○6年 第6次『DIRTY』~走れEndless Street~
舞台は南米、サンバの響くサルバドールの街。勉強に疲れたドジな日本人少年「ヘンサチ」を仲間に加えたストリートチルドレンたちは、さまざまな過去や傷をもっているが陽気で明るく、強い絆で結ばれている。異質なものを排除しようとする街の有力者たちと彼らは対立し追い詰められていく。そんななかで彼らは寄せ集めた“知恵”を武器にたくましく生きていく。テーマは「仲間」、そして仲間の「知恵」を寄せ集めることだった。
「とにかくかっこよかった、素晴らしかった。高校生のミュージカルだからたいしたことないだろうと、あんまり期待してなかったけど、全然違って迫力があった。私もやりたい」(新入生歓迎会で見た1年生の感想)
○7年 第7次『BELIEVE』~アモ、虹の中へ!~
インフルエンザの大流行のなかで、準備と練習が佳境を迎えた第7次は、スタッフとキャストのメンバーが揃うことが難しい毎日が続いた。
「BELIEVE」のテーマは「自分と向き合い、仲間を信じること」。これはまさに創作ミュージカルという取り組みのめざすものだった。
「人間は一人ではないということ、ありのままの自分がだせる仲間がいるということ、このミュージカルのテーマとそれに参加している皆さんがしっかりとダブっていました。このミュージカルを見ただけで、学園の雰囲気が伝わって来てとてもうれしく思いました。」(在校生父母の感想)
○8年 第8次『MY SELF』~我が心のアルクブラス~
人々の心も荒んでしまっていた19世紀末のある異国の町が舞台。自分のルーツを求める少女ナディア、他人を信用しないマーチン、記憶喪失のアークの3人が自分探しの旅に出る。
テーマのキーワードは「アイデンティティ」。「自分が自分である証」「自分の存在の意義を確信できること」。
○9年 第9次『ミエナイワタシ』~AGAINST WAVES~
ビクトリア高校ヨット部が舞台。
多くの失敗や挫折を経験し、それを乗り越えていくことで本当に強くて賢い人になれる。そして、数多くの出合いや経験はまた新しい自分を見つけること。“波風体験”がテーマのキーワード。
○10年 第10次『ローザンヌ、途方もない夢』
テーマの「途方もない夢への挑戦」は、「絶望から希望への反転」を体言している川田龍平さんの生きざまから学んだもの。さまざまな波風体験を乗り越え、絶望と向き合うことで希望を見つけだす。そんななかで自分自身の居場所を見つけることができる。
○11年 第11次『風のシスター!~Over The Sea~』
舞台は、日本からNGOの国際交流ボランティアに参加する中米エルサルバドル。ボランティアで参加した高校生たちは、教会の(向き合う家)の施設に収容されているストリート・チルドレン、グアテマラ・インディオの少年やその祖父、盲目の少女、そして麻薬中毒の経験者などと出会う。「今日からあなたたちが嵐になるの。空の青や海の青を包みながら、人知れず悲しみをとかす風に」テーマは「無条件の共感」~自分が自分であること~。
○12年 第12次『WISH』~闇の中で~
NHK教育テレビ「マフィアに立ち向かった少女」が12次のモチーフ。「人間ってほんとうにいいものだ」暗闇の中でも人々の心をつないでいく「希望の連鎖」が12次のテーマ。
○13年 第13次『はずれ道』~自由をつかめ~
共学になって2年目の創作ミュージカルは男子生徒がキャストにもスタッフにも加わり更に厚みを増した。テーマは「つながりを生きる」。
○14年 第14次『一瞬の永遠』~Seize The Days~
「心の壁は自分ひとりでは壊すことができない」が14次のテーマ。
(9)世界史セミナー
平成9年度の世界史セミナーは「中欧の光と影」をテーマに、社会科が長年温めていた「アウシュビッツへの旅」を実施した。参加生徒は41名であった。このセミナーでは、アンネフランクの家とアウシュビッツでは平和と人権の学習を、ウィーンではハプスブルク家を代表するヨーロッパの歴史と文化の学習の2つをテーマとした。特に、アウシュビッツへの旅は参加した生徒に強い印象を残した。
以下は参加した一生徒の感想文である。彼女はこの旅を契機として、大学は史学部へ進んだ。
「とても辛い現実だけど…」
入り口にさしかかった所で、なぜか重い空気が漂っていた。「働けば自由になる」と書かれた門を見て、ここに入った人達はこれをどんな心境で見ていたのだろう。門をくぐると2重の高圧線、ドクロマークの看板、自ら高圧線に向かって行き、命をおとした人もいると言うほど苦しかったのだろう。
私が驚いたのは、囚人たちによる楽団があったということ。私の知っている限り、囚人はただただ働き、飢えと病気で死んでいく人達ばかりだと思っていた。この楽団のおかげで何人の人が一瞬でも心がやすらいだのだろうと思った。ユダヤ人たち囚人の靴や髪が残されていた。他にくしやカバンも残されていたが、特にこの2つを見た時、怖くてたまらなかった。目をそむけたくなった。でも、そむけてはいけない、ちゃんと見なくては、と思い、背筋が凍るような思いで見ていた。
コルベ神父が入っていた地下の餓死牢の中に、花が飾ってあるのを見てとてもいたたまれなかった。収容所内でもっとも有名なガス室の中に入った時、すごく変な匂いがした。そして、シャワーの出てくる所に立ち、シャワー(ガス)がふりそそいで来るのを想像して、寒気を感じた。
どれだけの人が、重労働や飢えや病気で苦しんでいたか…自分も苦しい立場にいるのに、他人の身代わりになって餓死したコルベ神父は本当に偉大な人だと思った。
アウシュビッツやビルケナウを訪れて、自分の目で入り口やガス室などを見て、教科書なんかで勉強するより、はるかにいろんな事を感じて、考えた。私たち日本人は朝鮮や中国の人達にひどいことをしてきた。その事をちゃんと受け止めるいい機会だと思った。今日、このアウシュビッツで見たこと、感じたことを忘れたくない。とても辛い現実だけど、自分の目でみることができて本当によかったと思う。
(10)カリキュラムの一部変更
平成10年4月から、15年の新教育課程を見据えたカリキュラムに移行した。4年度カリキュラムの骨格部分は残しながら、進路に対応する進路ゼミ、情報教育を先取りする1・2年1単位ずつのマルチメディア授業、総合的学習に対応する総合ゼミなどを新たに設けた。