安城女子専門学校の学則を見ると「本校ハ女子ニ高等ナル学術技芸ヲ授ケ人格ノ陶冶、婦徳ノ養成、国体観念ノ涵養ヲ為シ兼テ中等教員タラントスル者ヲ養成スルヲ以テ目的トス」とある。まさに専門学校設立の目的は中等教員の養成にあったの […]
昭和7年4月22日、当時の文部大臣鳩山一郎氏が教育視察のために西三河地方へ来た。『興村行脚日記』によると岡崎で美合の種畜場、梅園小学校、師範学校を視察したのち、山崎先生の案内で農林学校へ行き、つづいて本校へ立寄った。その […]
昭和11年には、本校開校25周年を意識して、安城女子専門学校と安城女子職業学校合同で『校報』を発行した。その内容をみると、昭和3年刊行の『校友会誌』とは全く趣を異にしている。巻頭に寺部三蔵、寺部だい両先生連名の「御挨拶」 […]
昭和11年刊の『校報』に「卒業生中最近文検合格者」として、つぎの記述がある。 昭和 4年度合格 職業学校大正7年度本科卒業 加藤しな 昭和 8年度合格 職業学校昭和3年度師範科卒業 中野よし子 昭和 9年度合格 […]
昭和14年の専門学校本科卒業生4名のうち、先に述べたように3名は中等教員の検定試験の難関を突破し、前途に一縷の光明がきざしたかにみえた。しかし、その翌年度にはまた本科の卒業生は途切れてしまった。はじめから本科の入学生がな […]
昭和11年の2・26事件以後軍部の支配力が強化され、翌年の日華事変を発端に日本の大陸進出がすすむにつれて戦線が拡大されていった。この動きは日本全土を臨戦体制に巻き込み本校の教育も、その影響下に置かれることになった。昭和1 […]
昭和7年に本校に就任した松平すゞ先生は、本校就任以前に周辺の高等女学校の先生を歴任してきた。その経験にもとづいて松平先生は「とにかく日本中探しても、この学校ほど裁縫の技術のよく出来る学校は他にはないと思いました。卒業生は […]
高等師範科以来とくに職業学校本科師範部・専門学校の生徒は遠隔地出身者が多かった(表)。そのため校内に、職業学校本科家政部の生徒を収容する北寮(約20名収容)と、本科師範部の生徒を収容する南寮(約60名収容)の2つの寮があ […]