だい先生は、裁縫女学校開設以来、裁縫を通して、実力をもつ家庭婦人の育成と共に、裁縫科の教員養成に力を入れてこられた。「男は手習い、汝は裁縫」といわれた当時の一般的風潮の中で、女性の地位向上と生活能力の開発のためには、裁縫 […]
校名変更によって、意気ごみも新たに出発すると間もなく、大正7年4月、安城町は町内の各小学校に、実業補習学校を併設した。これは、国全体の実業教育の高まりの中で、愛知県が「公立実業学校補助規定」をつくり、これに安城町が応じた […]
当時の学習科目は、裁縫の他に、修身、国語(読み方、書き方)珠算、作法、それに専修科、本科は茶、生花、師範科は教授法、教育学などであったようである。この中でほとんどの時間は、裁縫(理論よりも実地)にあてられていた。 裁縫の […]
大正10年4月、安城町は町立の高等女学校を設立した。(大正13年に県立移管、現安城高等学校)教養ある婦人、働く婦人、健康な婦人を目標に、農村婦人の育成を目的とするものであった。 これにより、安城町から本校への入学生は激減 […]
明治44年の私立学校令の改正によって、中学校及び専門学校について定められた財団法人化の方向が、より明確な形で打ち出された。その後、この法人化への指導が強化されたようである。 本校は、大正11年12月、財団法人設立の申請を […]
大正12年9月1日午前11時58分、稀有の大地震が京浜を中心として関東一帯をおそい、都市では大火災が発生した。東京市は3日間燃え続き、全市の6割を焼き、死者5万9,000人余、行方不明1,050余人といわれる。大震災によ […]
職業学校となってから年中行事となったものに、夏季講習会と作品展覧会がある。 夏休みは短かく、8月に入ってから10日乃至20日間位だったようであるが、この間に講習会が開かれた。受講者は、在校生及び卒業生が主であった様で、平 […]
明治45年、裁縫女学校として発足以来、大正期を通じて、最も力を注がれたのは、教員養成であった。勿論、それだけではなく、円満で役に立つ家庭の主婦を育てることも、その大きな目的であった。が、少くとも、その主流は、教員養成であ […]