昭和30年代の学園の変貌には目を見張るものがあった。戦後10年が経過し、新しい教育制度とその内容に一応の定着を見つつあった。20年代に起った朝鮮戦争は日本の経済復興を促進させ、30年代のはじめには、それから20年間近く打 […]
学制改革の嵐がおさまりを見せはじめた昭和20年代の終りには、安城学園の教育をいま一度、創立の原点にたちかえって考えなおすという努力がなされはじめた。女性の潜在能力を開発することなしに、男女のあいだの不平等を打破することは […]
安城学園は安城市小堤において、女子短期大学を頂点に附属高校・附属中学校・附属幼稚園をあわせもち、三河地方随一の女子総合学園として世の広く認めるところまでに発展した。そして奇しくも、創立50周年にさいし、永い学園の歴史にお […]
短期大学においては、昭和37年に家政科が新設されるまで、被服科、生活科の2コースだけであった。被服科においては、だい先生のお考えもあって、生活に直結した、働く着物、改良生活着やリフォームされた着古し衣服の作製技術を体得す […]
昭和30年短期大学・学長であった細菌学の権威故二木謙三先生が文化勲章を受けられ、学園が喜びに包まれた。昭和33年5月、今度は園長のだい先生に藍綬褒章授賞の栄が輝き、学園の歴史へ誇りに満ちた1頁が更に加わった。明治39年、 […]
故寺部だい先生は、久しい以前から4年制大学を設立したいという執念にも似た強い意思をもっておられ、その事を教職員だけではなく学生にも熱っぽく話される事が多かった。当時、多くの旧制女子専門学校は、すでに学制改革で4年制大学に […]