昭和43年9月。学園理事長であった寺部清毅先生が学校長に就任された。寺部学校長は、岩城前校長の教育方針を尊重しつつ、時代に応じた、新鮮にして、より具体的な教育理念をうち出した。 新校長は三河武士の真髄を家康によって代表し […]
昭和40年春、岩城学校長によって発せられた丸刈り宣言は、4年後の昭和44年9月26日の創立記念日での長髪許可宣言によって終止符が打たれた。社会的な趨勢として高校生の頭髪自由化は進みつつあり、西三河で丸刈り励行の高校は、4 […]
昭和47年から51年にかけては、生活指導面、学習面、クラブ活動において、なおも模索と苦闘を続けつつも、城西教育10年の苦労が、やっと報われ始めた時代である。 まず学習とクラブ活動の面に於ては、火曜日と金曜日に行っていた全 […]
創立以来、運動会、体育大会、体力検定として行ってきた体育行事は、昭和43年には体育祭と名称を改め、内容もお祭り的要素を加えて華やかさを増した。学年たて割りの色別(赤・白・青)対抗競技に借り物競走、パン喰い競走などのリクリ […]
昭和51年度をもって、本校の教育は、一応の見るべき成果をおさめたが、それ以降も、さらに飛躍を目ざして、種々の施策と活動が続けられた。 (1)施設・設備の整備すすむ 昭和52年9月で、創立15周年を迎えたのを機に記念事業と […]
昭和56年4月、学園内の人事異動があり、学園短大附属高校長であった富田太先生が鈴木修先生に代って校長に就任された。富田先生は、安城学園へ来られる前に長年高等学校に勤務した豊富な教育経験をもち、さらに学園3ヶ年の実績の上に […]