明治45年(1912)2月8日付の、愛知県知事名による設立認可を受けただい先生は、この年4月1日、碧海郡安城町大字安城字稲荷において、安城裁縫女学校を開校した。寺部三蔵先生が校主、だい先生が校長であった。学を志し、先生を […]
学校開校1年目の生徒は、約30名であった。古い住宅の2間の仕切りを取り払って作った教室は、いかにしてもこれでは狭ますぎる。 2階にある1間は、遠方からの入学者のための寄宿舎に当てられており、年寄り(だい先生のお母さん)の […]
女性の職業としては、看護婦か女工さん、仕立屋の針子、そして小学校の教員ぐらいしかなかったこの時代、だい先生は自分の体験から、女性にも独立して十分やってゆける経済力を身に着けさせ、女性の地位向上のためにも、この学校の生徒に […]
大正3年(1914)は、第一次世界大戦の始まった年である。1か月後の8月、日本もドイツに対し宣戦布告し、中国の山東省、ドイツ領南洋諸島を占領して、戦争にまきこまれていった。しかしながら、直接の戦場とは遠く離れた日本は、こ […]
大正初年の、安城地方の女子教育については「一般の教育日を追ひて普及するに至りしも、尚土地の状況慣習上女子教育を軽視するの風止まず、義務教育の延長せらるゝや困難を訴へ、学令中製糸工女たらしめんとするもの、家事の手伝を為さし […]
明治45年4月、裁縫女学校開設当時の先生方と、その科目は、左表のようであった。 (上記図版「裁縫女学校開設当時の先生方と科目」参照) 校長のだい先生が、本科、専修科の裁縫をすべて受け持ち、礼法も週に1回位ずつ教えられた。 […]